☆ 池上古墳
大和国廣瀬郡
奈良県北葛城郡広陵町大野
(馬見丘陵公園 北エリアP利用、大野の天神社からも見晴らし良好)
■形状
帆立貝式古墳
■全長
92m(外堤を含めると130m)
■築造時期
古墳時代中期中葉(5世紀前半)
■埋葬施設
(不明)
■出土品
円筒埴輪
■周辺の状況
馬見古墳群 中央群内
周りに池上2号墳・3号墳有り(未確認)
■被葬者
(不明)
「馬見古墳群」の巨大帆立貝式古墳。
案内板を写した下部写真にあるように、円墳部の巨大さは特大。
「帆立貝式古墳」が出現した経緯については大きく意見が分かれます。門外漢がとやかく言うことでもないため、挙げられている説の概要を素人レベルにて。
◎前方後円墳の方墳部分が縮小
◎円墳に「造出(つくりだし)」を付けた
つまりプラスしたのか、マイナスしたのかということ。
大王が「誰彼ともなく前方後円墳を造るのはおかしいやろ!大王だけでええやろ!」「ではちょびっとだけにしときます」などと言ったのかどうか…
ちょうど前方後円墳に「造出」が設けられた時期から、帆立貝式古墳が出現。
意見が分かれるのも無理はないといったところ。
そもそも「造出」の意義すら分かっていない状態。元々墳丘で行っていた祭祀を「造出」で行うようになったと言われていますが…。
いずれにしても大王クラスではなく、臣下、側近、近親者の墳墓と思われます。
なぜこのような形になったのかは、門外漢なら自由な発想をしてもいいのだろうと思います。
甚大な功績を残した人物…
何かやり残したまま薨じた…
大王クラスの人物が慕った人物で、自身より先に他界した…
まだまだ頭が固いかな?
もっと自由な発想をしたいけど出て来ない。
なお「馬見古墳群」は以下の3エリアに便宜上区分されます。
◎河合大塚山古墳(記事未作成)などの「北群」
◎巣山古墳や二木山古墳(未見学)を中心とした「中央群」
◎築山古墳を中心とした「南群」
当古墳は「中央群」内。古墳整備を目的の一つとして造られた「馬見丘陵公園」が、その「中央群」に位置します。