奥石神社
(おいそじんじゃ)


近江国蒲生郡
滋賀県近江八幡市安土町老蘇1615
(北側からも、一の鳥居がある南側からも共にP有り)

■延喜式神名帳
奥石神社の比定社

■旧社格
県社

■祭神
天児屋根命


安土城跡近く、「繖山(きぬがさやま)」と「箕作山・太郎坊山(赤神山)」に挟まれた平地に鎮座。国の史跡として指定されている「老蘇森(おいそのもり)」に包まれた趣深い社。
◎「老蘇森」について「奥石神社本紀」という書では、「此の地一帯は地避け水涌いて、人の住める処ではなかったのであるが、人皇7代孝霊天皇の御代、住人であった石部大連という翁が神助を仰ぎ、松・杉・桧等の苗木を植えた所、忽ち大森林になったと云う」とあるようです。
「地避け水涌いて」という記述が気になりますが、この件に関しての資料は今のところ見当たりません。地震でも起こったのではないかという想像はできますが。
この石部大連が百数十歳まで生きながらえたことによる「老蘇森」と称されることになったとされています。
◎現在、社頭案内板において「景行天皇の御宇、日本武尊蝦夷征伐の時、弟橘姫命は上総の海にて海神の荒振を鎮めんとして『我胎内に子宿すとも、尊に代りその難を救い奉らん、霊魂は飛び散り江州老蘇の森に留り永く女人平産を守るべし』と誓い給いてその侭身を海中に投じ給う云石部々とあり…」とあります。
紀にはこれに対応する弟橘姫命の入水がありますが、「霊魂は飛び散り江州老蘇の森に留り…」というものは記されていません。
◎創祀創建については社伝のものとして「崇神天皇の御代四道将軍を差遣ありし時、吉備武彦が武運祈願の為に勧請せし所なり。また、孝霊天皇の30年石部大連と云う翁が社壇を築きしに始まると記されている」とあります。
◎不揃いな記述内容となっていますが、創祀は石部大連翁が社壇(神籬か)を築いた、創建は四道将軍の一人吉備武彦が勧請したことによるということかと思います。
◎石部大連という人物は、出自に関する資料が見当たらず不明。在地氏族でしょうか。
ご祭神については、吉備武彦澳津比古・澳津比売命を勧請してきており、この二座が原初のものと「神名帳考証」などはみています。ただしこの二座が鎮まる理由は不明。
また応神天皇の御代に、吉備武彦の後裔である賀佐朝臣が日本武尊・弟橘姫命を配祀したと伝わります。
◎「繖山(きぬがさやま)」には山頂に磐座が座しているとされ(現地未確認)、当社はそれを遥拝するための里宮、或いは祭祀場であるという見方もあります。
「老蘇森」という名称、御祭神の澳津比古・澳津比売命は案外、「奥の石」である磐座を由来として、語呂として宛てられただけのものではないかとも思いますが。
なお山腹には三基の古墳があるとされ、奉斎氏族のものとみられます。
◎中世以降は「鎌宮」と称されていたらしく、大正時代に現社名に改称されています。当社側は「蒲生野宮」からの転訛としています。



















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