新川神社 (守山市立入町)
(にいかわじんじゃ)


近江国野洲郡
滋賀県守山市立入町123
(P無し、北すぐの「日建」さんや「美心環境システム」さん辺りまで来ないと停め置きできるところがありません)

■延喜式神名帳
上新川神社の論社

■祭神
小楯比賣命


「野洲川」下流、南岸畔の住宅地内にひっそりと佇む小さな社。
◎社伝によると、霊亀二年(716年)に「大新川神霊を野洲と幸津川二邑に分祀する」とあるようです。「幸津川」は現在も「幸津川町」として地名が残っており、下新川神社が鎮座しています(未参拝)。つまり上下に分かれたと思われ、これが神名帳に見られる「上新川神社」と「下新川神社」のことかと。
◎ところが「三大実録」には貞観十一年(869年)に、「新川神」として正五位下の神階授与がなされています。つまり上下に分かれたのは、この時から延長五年(927年)の間ではないかと。
◎一方で「式内調査報告」には、「野洲川」で氾濫が起こり、「立入庄」が守山と野洲の2ヶ所に分かれたとあるようです。対岸の野洲市にも新川神社が鎮座しており(未参拝)、いずれも上新川神社の論社として挙げられています。
◎「野洲川」河川敷には旧社地跡があるようです(現地未確認)。そもそも創祀は「野洲川」の氾濫から守るための、司水神として祀られたとみられています。残念ながら皮肉な結果に。
◎ご祭神の小楯比賣命は「先代旧事本紀」に、饒速日命三世孫 出石心大臣の妻 新河小楯比賣命と記される神。この間に生まれているのが大水口宿禰であり、大和国から近江国甲賀郡へと拠点を移し水口神社に祀られています。また出石心大臣の母は淡海川枯姫であり、野洲郡を拠点にしていたとされます。


境内の際まで住宅が建てられてしまいました。

近江国に多い配置と造り方。




藁の奉納がなされていました。