☆ 三瀬の渡し
多岐原神社から「宮川」へ向かい、150mほど歩いた倭姫命ゆかりの伝承地。
天照皇大神が鎮まる大宮処を求め「宮川」を遡上していた所、砂も流れる急瀬に出くわし困惑していた折、真名胡神が現れ流れの緩やかな場所を案内し無事に渡られたというもの。
現状はその通りに穏やか。
河原は整備されたのでしょうが、ゴツゴツと張り出した岩は当時のままだと思われます。
倭姫命の旅路には、想像を絶する困難があったと思われます。悪天候、難所の突破、獣との遭遇、在地部族との衝突…などなど。
この辺りまで来て姫は癒されることができたのでしょうか。
真名胡神については土着の首長かと思われますが、宇治土公(ウジトコ)の血を引いているのではないかと考えています。
宇治土公は志摩国を拠点とした海人族で、当地など山中にも広がりをみせていた氏族。丹後国にも痕跡が残ります。
「まなご」とは「細かい砂礫」のことで、当地の河原はまさにその通りのもの。山中にありながら浜辺のごとく郷愁を抱いていた…などと想像も。
*写真は2020年8月と2021年11月撮影のものとが混在しています。
多岐原神社へ向かう道。この左手に鎮座しますが、当地へはそのまま突き進みます。季節により伸びた草むらを掻き分けて進まねばなりません。