☆ 岡宮天皇 真弓丘陵
大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村大字森
(素盞鳴命神社の社前に停めました)
天武天皇第2皇子 草壁皇子の治定墓。
天武天皇と皇后 鸕野讃良皇女(ウノノササラノヒメミコ、後の持統天皇)の間の御子。
第1皇子は高市皇子(タケチノミコ)、第3皇子は大津皇子(以下略)。
いわゆる「吉野の盟約」において次期天皇が確約されたものの、27歳の若さで薨去。岡宮天皇と追号されました。
第1皇子の高市皇子を飛ばして皇太子となったのは、母親の力関係であろうと思います。
鸕野讃良皇女は天智天皇の皇女であり、また天武天皇の皇后になりました。さらに強気な性格的なこともあったのではないかと…。
また第3皇子の大津皇子は、母(大田皇女)が鸕野讃良皇女とほぼ対等であり、また大津皇子自身も草壁皇子に比して遥かに才能に溢れていたものの、やはりこちらも鸕野讃良皇女の性格や力関係が影響したものと思います。
そして大津皇子は、おそらく無実の罪を被せられ葬られたことかと。
当古墳については10~20m程度の円墳とされます(資料により規模はまちまち)。
地元の伝承では、当地に現在東隣にある素盞鳴命神社が鎮座していて、治定(明治時代)に合わせて盛土を行い形成したとも。
現在は北方300mほどの束明神古墳(後ほど記事UPします)が有力とされています。
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