山口神社 (舞鶴市堂奥)
丹後国加佐郡
京都府舞鶴市堂奥
(詳細住所不明、舞鶴東ICより北東300mほど)
(P無し、社前道路に寄せて停め置きしています)
■旧社格
村社
■祭神
天道日女命
*既に多くの「いいね」を頂いておりますが、記事を大幅に修正したため「改定記事」としてUPします。
東舞鶴の東部郊外、「舞鶴東IC」近くの「堂奥」に鎮座する社。「祖母谷川」が流れる田園地帯、社殿背後は東側の山の尾根になっています。世帯数は100余り(令和二年国勢調査データ)と深刻な過疎化が進む地。
◎当社は「堂奥村」「多聞院村」両村の氏神であったとされます。元は一村であったとのこと。「多聞院村」には天蔵神社が鎮座します。
◎当地は天道日女命が老後に暮らしたとされる地。天道日女命は天火明命と結ばれ天香語山命を生んだ神。「勘注系図」には「天道姫命 亦たの名 屋乎止女命(ヤヲトメノミコト)、亦たの名 高光日女たこひめ命(タコヒメノミコト)、亦たの名 祖母命也」とあります。対馬県主の祖とされる天日神の娘。おそらく海神族(安曇族)の祖ではないかと。いずれにしても太陽神、或いは太陽神を奉斎する巫女(シャーマン)で、一族の首長であったように思います。
◎「丹後國風土記」残闕の「高橋郷 本字高梯」に以下のように記されます。
━━「高橋郷」と名付けられた所以は、天香語山命が「倉部山」山頂に神庫(ほくら)を造り種々の神宝を収蔵し、長梯を掛けていたので「高梯」と云う。峰(倉部山)の頂に天蔵と称する神祠があり天香語山命を祭る。またその山口●●国に祠があって祖母祠と称する。この国に天道日女命と称する者があって、歳老いて此の地に来居まして、麻を績ぎ蚕を養ひ、人民に衣を製する道を教えたので山口坐御衣知祖母(やまぐちにますみそしりそぼ)祠と云ふ也━━
◎この「山口坐御衣知祖母祠」が当社のこと。当社より東南東1.5kmほどに天蔵神社が鎮座しており、これが頂より遷座された社、あるいは天香語山命が神庫を設けた地の名残かと思います。虫食い部分を埋めて考えうるに、「倉部山」山頂に天蔵神社、山の口(麓)に当社が鎮座していたのではないかと。「倉部山」についてはほど記事を上げる。「天蔵祠」(天蔵神社)にて。
◎「御衣知(みそしり)」は「溝尻」のことであろうかと。「溝尻」は「堂奥」の西隣。按ずるに「祖母谷川」を溝地と見て、その尻ということでしょうか。天道日女命が養蚕を教えたことからの「御衣知(みそしり)」ではないかと連想されるも、「溝尻」もまた地形から連想されます。どちらが先でどちらが後から宛てたものかまでは不明。
◎天道日女命が老後の住まいにこの地を選んだのはやはり、天香語山命が造ったという神庫と関係あるのだろうと思われます。
◎「加佐郡史」には、元文二年(1737年)に宮津町の喜左衛門という者が山崩れの後を地均ししていたとき「丹後国加佐郡倉梯郷曾保谷山口大明神文安二年(1445年)十一月二十一日勧進聖仙敬白」銘のある鰐口一箇を拾い上げたと記しています。現存しないようです。
*写真は2020年6月と2024年5月撮影のものとが混在しています。
*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。