☆綏靖天皇 葛城高丘宮跡


大和国葛上郡
奈良県御所市大字森脇537
(P無し、停め置きできるスペースも無し、当日は葛城一言主神社から15分ほど歩きました)



第2代綏靖天皇の比定宮跡。
「葛城山」の東麓、葛城古道途上、森と田の境にひっそりと石碑が立てられています。

なぜ葛城の地なのか。

紀と旧事本記においては、皇后は五十鈴依媛命とされています。事代主神の娘。

葛城一言主神社の一言主神を事代主神とする説があることから、一応の関連は見出だせます。

そもそも第8代孝元天皇までは「欠史八代」などとも言われ、実在視されていません。

それでも個人的には実在したと考えています。

そもそもこの時代まで遡って、実在したのか実在しないのか確かめようもなく、

記紀などには天皇名が挙げられ、宮跡や御陵までもが記されているにもかかわらず、
証拠無しに端から実在しないと決めつけるのもどうかと。

大和国内にはそれぞれに細々と伝承も残っていることですし。またそれぞれには御陵の伝承がありますし(治定墓とはほとんど一致しない)。

もちろん日本国中を支配するような権力を持ち合わせていたとは到底思えず、
また饒速日神ほどの大和を支配するようなレベルには、遠く及ばなかったのだろうと思います。

それでも、鴨族が支配するこの葛城の地に宮を構えたということが重要だったように思います。

宮といっても屋敷があったというくらいのレベルでしょうが。



葛城一言主神社の脇から西へ上がります。
 
一番向こうに見えているのが「葛城山」でしょうか。

このまま真っ直ぐ道なりに。


今度は少し麓(東)へ下ります。ここまでずっと道なり。

「葛城古道」の標榜。畦道を進みます。

葛城一言主神社の御神体山を撮りました。

北へカーブします。

こんなところを抜けて…

見えてきました!

こちらは麓(東側)を撮りました。