大蔵神社 (吉野町南国栖)


大和国吉野郡
奈良県吉野郡吉野町南国栖343
(登拝、アクセス記事は→こちら)

■延喜式神名帳
川上鹿塩神社 鍬 の論社

■旧社格
村社

■祭神
鹿葦津比売命
大倉比売命


「吉野川」が大きく湾曲を繰り返す、「南国栖(みなみくず)」の「衣笠山」中腹に鎮座する社。標高は330mほどでしょうか。
◎当社は「式内社 川上鹿塩神社」の論社として挙げられています。「大和志」(1734年)に「(川上鹿塩神社)在=樫尾東川南国栖三村之交界-今称=大蔵明神」とあります。「樫尾村」・「東川村(うのかわむら)」・「南国栖村」の三村の境界に鎮座し、現在は「大蔵明神」と称されていると。この通りとするなら当社が式内社。
◎一方「川上村史」は「口碑に此神は五社峠に祀りし川上鹿塩神社五堂の中其の二座を分けて移したるもの」としています。これは「吉野川」対岸の山中に鎮座する川上鹿塩神社の五座のうち、二座のみを当社へ分祀したというもの。
◎他方「國樔村史」は「大倉神社ハ南国栖ニアリ 祭神鹿葦津比賣命 元村社鹿鹽神社ヲ明治十二年ニ大倉神社ト誤記セリト云フ 左殿ニ大倉比賣命右殿ニ巖押別命ヲ祭ル」とあるようです。
この内容を信じるのなら、当社こそが本来の「式内社 川上鹿塩神社」となります。
◎また本居宣長の「菅笠日記」には、「鹿塩神社の御事をたづねはべれば (中略) 今は大蔵大明神と申しておはす」とあります。
◎さらに社宝の鏡には、「大蔵大明神 正応五年(1292年)五月廿五日 藤原●●敬白」とあるとのこと。
◎以上を総括しても「式内社 川上鹿塩神社」は、現在の川上鹿塩神社なのか、或いは当社なのか、判別は非常に困難かと思われます。
◎ご祭神については神名帳においては一座。現在の社名からは大倉比売命。当社を式内社と仮定して「神名帳」からは鹿葦津比売命。既出の「川上村史」は、国栖人の祖神である石穂押別命としています。こちらも特定は困難かと。
◎ご本殿前と背後とに磐座群があります。総体的に岩そのものに加工が施されていないことから、比較的時代は新しいもののように思います。当社が「式内社 川上鹿塩神社」であるのかどうかはさておき、古来からの祭祀場であったようです。


正面の美しい神奈備山「衣笠山」の、反対側中腹に鎮座します。

奥に見えるのが当社ご本殿。





写真中央のやや水色がかったところが「吉野川」。かつての登拝道はこちらだったようです。

境内は広大な平面に築かれています。


大蔵神社庭園


以下8枚は本殿前の磐座群。








以下5枚は本殿背後の磐座群。