*既にたくさんのいいねを頂いていますが、
あまりに美しい写真が撮れたので改定記事を上げます。


九頭神社 (天理市苣原町)


大和国山邊郡
奈良県天理市苣原町376
(駐車は下部写真参照)

■祭神
建御名方神


「布留川」の上流、支流を集める「天理ダム」の先に鎮座する社。地名は「苣原町(ちしゃわらちょう)」。標高は560mほどの高所、境内横に小川があり巨樹が林立するという、九頭神が祀られるには似つかわしい地かと。
◎創建由緒等については分かっていないようです。「布留川」上流には当社以外に長滝町の九頭神社下仁興町の九頭神社と三社が見られ、いずれもご祭神は建御名方神。明治の祭神替えの際に村同志で示し合わせたのでしょうか。
◎「天理市史」には「もとは吉田神道の直轄で『惣社九頭神社』の掛額の裏に『神祇道官領 卜部朝臣良長』の銘が刻まれている」とのこと。
「吉田神道」は卜部兼俱(ヨシダカネトモ)が開いた「唯一神道」。室町から戦国時代にかけての神道家。その直轄社というのは兼俱が朝廷や幕府に取り入り、支配した神社のこと。卜部良長は兼俱の13代後(Wiki系譜より)。江戸時代後期の人物と思われます。
◎民話として以下のものが伝わっています。「山深い宮の鎮守の森にはハトやキジ、シカ、ウサギなど多くの動物が住んでいたが、狩ると神罰が下るとされていた。明治の初期に夜明け前に狩りに入った者がいたが、一向に夜が明けない。すると白い着物を着て冠を被り白馬に乗った神々しい人が、社からこちらに向いてやって来てそのまま過ぎ去った。神だったのか?大それたことをしようとしたために目が見えず暗いままだった、目がつぶれなくて良かった。二度と狩りはやめようと思った」と(「天理市観光協会」より要約)。よくありがちな民話ですが、鎮守の森を大切にしてきたことが分かります。そしてこの時既に、九頭神から建御名方神に替わっていることも分かります。

*写真は2020年5月と2021年5月撮影のものとが混在しています。


国道25号線からこの道を下ります。道は狭小、この先転回するのも困難なため、いつもここに停め置いています(農家の方に要配慮)

境内は一番奥の林の中の手前側。


冒頭写真から分かるように、紅葉もとても美しいと思われます。未だ紅葉時期に参拝はしていませんが…。



こちらが「惣社九頭神社」と銘のある扁額。




背後の山をざっと見渡したところ、磐座らしきものは見えません。

境内横のせせらぎ。こちらが「布留川」の源流の一つであり、九頭神の棲みか。






紀伊国牟婁郡の矢倉神社系(宇津木矢倉神社など)に多く見られる平たい石と似たもの。同じ信仰形態なのでしょうか。

気になる境内社の捨羅大神。初めて聞く神名。向かって左から二殿目。星神なのでしょうか。