生國魂神社
(いくたまじんじゃ)


摂津国東生郡
大阪市天王寺区生玉町13-9
(駐車場は覚えていません)

■延喜式神名帳
難波坐生國咲國魂神社 二座 並名神大 月次相嘗新嘗 の比定社

■社格等
[旧社格] 官弊大社
[現在] 別表神社

■祭神
[配祀] 大物主神


大阪市天王寺区の市街地内に鎮座する社。「いくたまさん」などと呼ばれて親しまれています。
◎かつては大坂城の地に鎮座していましたが、秀吉により移転遷座させられています。これは当社に近接して創建された石山本願寺が、武装し暴徒と化したためと思われます。信長の焼き討ちにあい、これを沈静化させるためにこの地に大坂城が築かれることとなったのであろうと思います。
この旧鎮座地は高安山から冬至の日に朝日が昇る地でした。後述のように創祀は神武東征の砌云々…とされますが、原初は日祀りの霊地であり、縄文時代あるいは旧石器時代からではないかとも考えています。
縄文時代の絵地図を下部に掲げておきます。当社旧社地は北に向かって突き出た「上町台地(かみまちだいち)」の先端。「高安山」は南東の「恩智」の西背後の山。現在の大阪市街地は海の中であり、当社から海越しに「高安山」を仰いでいたことになります。なお、この「高安山」の麓(中腹)に創建されたのが恩智神社であり、山頂付近には磐座が座しているようです(現地未確認)。
◎創祀は社伝によると、神武東征の際に「難波碕」に生嶋神・足嶋神を祀ったのを原始としています。日本国土の神霊を味方につけて進軍をしようとしたのでしょうか。実際にこの時に祭祀が行われたのかどうかはともかく、それよりも遥か上古からの霊地であったと考えています。
◎旧社地は「難波宮」が営まれた地としても知られます。また「難波津」もあり、霊地であるとともに大阪湾の入口として要衝でした。
この「難波宮」「難波津」と当社と、密接に関連するのが「八十嶋祭」。平安時代から数百年に及び、天皇が即位すると必ず当地で執り行われたもので、即位儀礼の一つとされます。祭祀は神衣を揺り動かして国土の神霊とされる生嶋神・足嶋神の御魂を招魂させ、天皇がそれを着衣することで国土の支配権を得たものと解されます。また当地に「難波宮」が置かれたことから、京に移っても宮中で祀られることになったのではいかと。
◎ご祭神は生嶋神・足嶋神とされていますが、神名帳においては「難波坐生國咲國魂神社 二座」となっています。つまり生國魂神と咲國魂神。生國魂神を生嶋神に、咲國魂神を足嶋神に比定しています。生嶋神は生成の神、足嶋神は充足の神、つまり生成と繁栄ということでしょうか。
なお配祀神の大物主神は後の時代に勧請されてきたもの。咲國魂神を大物主神の幸魂奇魂になぞらえ、幸魂のこととする説もあるようですが、ナンセンスとしか言いようがありません。

※写真は2017年1月撮影のものです。