滝祭神 (皇大神宮所管社)


伊勢国度会郡
三重県伊勢市宇治館町1(皇大神宮内)
(皇大神宮P利用)

皇大神宮所管社(30社中の第1位)

■祭神
滝祭大神


皇大神宮(内宮)の宮域内、宇治橋を渡りまず最初に拝することができる社。五十鈴川の「御手洗場(みたらし)」横に鎮座します。
◎まずは一般的な概略を。社殿無し、石畳の上に座す石があるのみで、それを板垣で取り囲んでいます。「皇大神宮儀式帳」(804年)にも社殿無しとされています。そこには「滝祭神社」と記されています。神名帳には記載されない式外社。ご祭神は社名通りに水神。五十鈴川の皇大神宮辺りの流れは至って穏やか。「滝」などと称するにはほど遠いものかと。
当社は皇大神宮所管社(30社中の第1位)でありながら、別宮と同様の祭祀が執り行われているようです。さらに「物忌み」の奉仕まで行われているとか。「大神宮儀式解」にも「深き所以有る故」とまでしか触れられていないようです。
◎以上のように謎が多い社。禊を行う祓戸社などとは到底思えず、この社に対しての崇められ方は、尋常ではないと言わざるを得ません。
これらの謎に対しての答えに近いものを出されているのが、「アマテラス」の研究の第一人者である筑紫申真氏。まず田中卓氏の説を引用しながら、続紀に「文武天皇二年(698年)十二月乙卯 多気大神宮を度会郡に遷す」という記述に着目(正確な記述は「多気大神宮寺」)。この年に現在の皇大神宮の社地に遷座されたとみなしています。そして元の鎮座地を、皇大神宮の「別宮」であり「遥宮(とおのみや)」とされる瀧原宮の地であったと解しています。皇大神宮からは遥か奥地の山里の地であったと。
この説を採るならやはり「瀧(滝)」であったのです。氏は「アマテラス」を折口信夫氏の言う「棚機つ女」であるとし、川の畔で神衣(かんみそ)を織りながら、川から御蔭(みあれ)してくる神を待っていたものと。
◎そこから導き出されるのは、当社はそれを皇大神宮の宮域内で再現しているものであろうかということ。これが真相であるなら、当社が別宮と同等に、そして尋常ではない崇められ方がなされているのは当然のことかと思います。したがって御神体である「石」は、瀧原宮があるかつての神が鎮まっていた地から持ち運ばれてきたもののように思います。

※写真は2018年6月撮影のものです。