倭姫宮


伊勢国度会郡
三重県伊勢市楠部町字赤井谷5
(P有)

内宮別宮10社中の第10位

■祭神
倭姫命


外宮の東方すぐ、内宮の北方少し離れた地に、倭姫命の治定陵墓があり、その伝承を基に大正十二年(1923年)に創建された倭姫命を祀る社。皇大神宮の別宮として名を連ねています。神宮司庁や宇治山田町民が倭姫命を祀る社が無いため、創建すべきであると国に働きかけ認可されたとされています。
なおこの治定陵墓は小さな前方後円墳とされ、地元では専ら倭姫命陵墓として通っているそうです。
そもそも倭姫命は祀られる側ではなく、祀る側の人物、祀る社が無いのは至極当然のこと。ところが渟名城入姫にしろ、天鈿女にしろ、いつの間にか祀られる対象ともなり、神として認識されています。「神」を祀るのは「人」であり、「人」が「神」として祀りたいと感じるのであれば、それはもはや「神」であろうと。八百萬の神は古代よりそうして祀られてきたかと思います。倭姫命が残した功績は「神」として崇められるに値するものだと、古代史にただ口を挟むだけの輩ながらも、そう思っています。
当地一帯は「倉田山」という丘陵地。当社創建前には明治天皇の神宮行幸のために倉田山を削り「御幸道路」が敷かれ、神宮徴古館等の新設、皇学館大学も移転されてくるなど、当社を含めて「倭姫文化の森」と呼ばれています。

※写真は2017年7月撮影のものです。



大正時代の創建とは到底思えないほどの神寂びた雰囲気。一から人工の森を作り上げた明治神宮や橿原神宮とは異なり、元からあった森林を活用したものでしょうが、感服せざるを得ません。