高向大社
(たかむくたいしゃ・たかぶくたいしゃ)


伊勢国度会郡
三重県伊勢市御薗町高向74
(駐車場は覚えていません)

■延喜式神名帳
雷電神社の論社
[合祀社 神村社] 雷電神社の論社

■旧社格
村社

■祭神
素盞嗚命 奥津嶋姫命 湍津嶋姫命 市杵嶋姫命 大己貴命 下照姫命 八大龍神 別雷神荒魂 大山祇神


宮川の河口近く、豊受大神宮(記事未作成)からは北に500mほどに鎮座する社。
「式内社調査報告」によると、「伊勢渡會郡高向郷高向村高向神社記」に引く「大社寳殿棟札記」には、「聖武天皇の天平三年(731年)正月十八日曾禰處昭が七神を祭定したと記す」とあります。本殿に素戔嗚命・奥津嶋姫命・湍津嶋姫命、本殿左脇の岩に大己貴命・下照姫命・八大龍王鳥居右脇の社殿に、市杵嶋姫命と以上の七神。
近世まで八王子社と称されていたようで、これは当社が掲げるご祭神九座のうちの前八座のことでしょうか。当社社記(どういう書かは不明)によると、貞観三年(861年)に大雨洪水があり大杉の根本に蓋根矢が流れ着いたとあるようです。これがいわゆる別雷神の「丹塗矢伝承」と同類のものであるとして、ご祭神に加えられ八座に、そして当社こそが式内社 雷電神社とあると主張したもよう。
式内社 雷電神社は所在不明となってしまっており、他にも論社が数社見られるようです。当社に合祀された神村神社にも同様の伝承があったらしく、宮川に流れ着いた蕪矢を私邸で祀っていたのを創祀としているようです。それが「蕪社」、「加牟良社」となり「神村」へと転訛したとか。
当地のすぐ近くに宇須乃野神社が鎮座しており、こちらも式内論社。所在不明となっていたのを当社を基準に再興させたとか。式内社同志は「半里を隔てる」のが通例(志賀剛氏による)で、それに当てはめるのであればどちらかは式内社でなかったことになるかと。

※写真は2018年5月撮影のものです。



鳥居前の大岩は磐座なのでしょうか。



境内には2箇所(あるいは他にも)岩を祀る小社が鎮座。