伊奈冨神社
(いのうじんじゃ)


伊勢国奄藝郡
三重県鈴鹿市稲生西2-24-2
(P有)

■延喜式神名帳
伊奈冨神社の比定社

■旧社格
県社

■祭神
保食神大国道命
[合祀] 豊宇賀能売命 稚産霊神 鳴雷光神 大山祇命


鈴鹿サーキットの東方すぐに鎮座、早咲きの「むらさきつつじ」が有名な社であるとか。原初の降臨神を祀っていた「三大神旧跡」が奥の方にひっそりと。またそこから連なる境内最奥の遊歩道までは、神氣と四季を感じられる風情豊かな古社と思います。
◎三重県神社庁データによると、
━━創建は神代、「東ヶ岡」(鈴鹿サーキット場内)に御神霊が出現せられ、霊夢の神告により崇神天皇5年勅使参向のもと、「占木」の地にて社伝造営の地を占われ、「神路ヶ岡」に大宮・西宮・三大神を鎮祭━━とあります。
◎少々煩雑なものの、まず顕現したのは鈴鹿サーキット場内。S字カーブの辺りだとされ、現在も小祠があるとか(現地未確認)。占った「占木」の地というのは不明、こちらは大和国内でしょうか。「占木」というのを考慮すれば、波波迦の木を用いて占っていた「天香山」かもしれません。「神路ヶ岡」は現社地でしょうか。「大宮・西宮・三大神」については、「三大神」の旧跡が境内にあるものの残りは不明。「大宮」を主祭神とするのであれば、「西宮」は境内摂社の豊御崎神社あるいは天王社でしょうか。三大神の内わけも不明。
◎社名の「伊奈冨」は現在の地名「稲生」のことと思われ、稲の神を祀ったものかと。主祭神の保食神も穀霊神であり合致します。
◎ところが村の五穀豊穣を願い創建された…といった、どこか牧歌的な印象を纏った社ではないように思います。崇神天皇五年は紀によると「疫病が国内に多く発生し、国民の大半(半分以上)が死んでしまった」(意訳)と。勅使を送り奉斎地までを占って鎮祭したと。これはもうただごとではない様相。当時、この地で何か大きな事象があったのではないかという疑いも。
◎その後の歴史は、仲哀天皇の御子品屋別命の裔(磯部氏)が代々神主として仕えたこと、雄略天皇五年には数種の幣物が奉納、保食神に「那江大国道命」の神号を賜ったとされています。さらにその後には行基やら空海などという僧侶たちが、境内に仏教施設を建てたり池を拵えてしまったりと横様を繰り返したようですが。

*写真は2016年1月撮影のものです。






「雨の壺」

天王社

豊御崎社

つつじが美しい春もいいのでしょうが、この遊歩道を晩秋から冬に歩くのも風情があります。いつもこの季節に参拝しています。