河上神社 (河上神社天満宮)


淡路国津名郡
兵庫県洲本市五色町鮎原南谷565
(P有)

■延喜式神名帳
河上神社の比定社

■旧社格
県社

■祭神
河上大神
[合祀] 菅原道真
[河上神社天満宮] 菅原道真 (相殿)中将殿 吉祥女


背後に「天神山」を控え、社前には「天神川」と、淡路島内で唯一の天神(菅原道真公)を祀る社であるとか。小さな山里集落内の社であるにも関わらず、参拝者が多いのはそのせいでしょうか。その菅公は、延喜元年(901年)に当社へ参拝祈願した所以から合祀神として祀られ、いつの間にか主祭神を凌ぐ人気に。
◎菅公が参拝したということについては「川上に貴き霊神あり」と記されており、これが式内社 河上神社に宛てられた理由。場所として「川の上の方」を言うものか、「川上(河上)社」を指すものか不明、他にも論社が数社挙げられています。
◎明治二十一年に祭神不詳となっていたのを河上大神に、同二十六年に河上天満宮を河上神社にしたとのこと。また明治の初頭に淡路市斗ノ内の同名社(式内論社、未参拝)から勧請したという説もあるようです。
◎創建は延長年間(923~931年)のこととされますが、これでは菅公参拝云々の伝承とは整合せず、また式内社 河上神社の比定とも整合しません。菅公伝承と式内社を真とするなら、少なくとも9世紀末には鎮座していたとするべきでしょうか。
◎ご祭神の河上大神についても不明。社頭案内には「古昔より天神と称し最も高き貴き天津神と言われまた、高神とも伝えられ、地方に恵みをもたらす万物育成の神・水を司る(甘雨を降らし霖雨を止める)神として崇められている」とあります。どうやらこれは河上大神は高龗神のことのように思われます。「水を司る(甘雨を…)神」がそれに当たるかと。また文中の「高神」というのは、「龗」の文字が欠落したものでしょうか。いずれにしても高龗神とする根拠は示されておらず不明。
◎論社のうち上記の淡路市斗ノ内の同名社では、川上首が奉斎していたという説も。川上首は「新撰姓氏録」に「右京神別(天孫) 川上首 火明命之後也」とある氏族かと思われます。これは河上摩須神の後裔のことで、丹後から当地に移ったということでしょうか。案外この説が的を得ているようにも思います。

*写真は2017年5月撮影のものです。








裏山の方へも足を伸ばしました。


小祠が有りますが、詳細不明。この先に当社御旅所と八幡社がありましたが、いずれ記事にできればさいわいかと。