伊勢久留麻神社


淡路国津名郡
兵庫県淡路市久留麻2033
(参道に駐車可)

■延喜式神名帳
伊勢久留麻神社の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
大日孁貴尊


「太陽の道」上に鎮座するとして一躍脚光を浴びた社。淡路島の北部、東側海岸近くに鎮座します。同じ淡路島では、古代祭祀跡の磐座が残る舟木石上神社も同じ「太陽の道(北緯34度32分)」上に鎮座します。当社は広い境内に拝殿とご本殿があるのみ、祭祀跡などもなく少々殺風景な出で立ちに。
創建は伊勢国鈴鹿郡鎮座の久留麻神社(未参拝)から、敏達天皇の御代(572~585年)に勧請したというもの。別宮とされますが勧請経緯は伝わっていないようです。
その伊勢国久留麻神社は大己貴尊を祀っており、当社ご祭神とは異なるもの。これはおそらく、合祀された漢織姫命(アヤハトリヒメノミコト)が当社に勧請されたのではないかと考えます。漢織姫命は伊勢国久留麻神社の社伝によると、雄略天皇の御代に呉国派遣使 身狭村主青(ムサノスグリアオ)と檜隈民使博徳(ヒノクマノタミノツカイハカトコ)が、連れ帰った縫工女 漢織、呉織(クレハトリ)、衣縫(キヌヌイ)の兄媛、弟媛らが勅命により伊勢国に紡績や衣縫の技術を伝えたとされています。これらのことは紀の応神天皇の条にも雄略天皇の条にも類似した内容の記述があり、意図して重複させたのか混乱しているのか。推稿は行われているはずであろうと考えると意図したものかもしれませんが。
当社は古く「来馬」と表記されていたこともあるようです。これは「呉織」からの転訛とも。仮にこれが正しいとすれば、伊勢国久留麻神社の本来のご祭神は呉織姫神であり、そこに漢織姫神が合祀されたのではないかと。そして当社には主祭神の呉織姫神が勧請されたのではないかと考えます。大日孁貴尊は太陽祭祀が行われていたかとからのものかもしれません。

※写真は2017年5月撮影のものです。