等乃伎神社
(とのぎじんじゃ・とのきじんじゃ)


和泉国大鳥郡
大阪府高石市取石2-14-48
(境内に駐車可)

■延喜式神名帳
等乃伎神社 鍬靫 の比定社
[合祀社 大歳神社] 大歳神社の論社

■旧社格
村社

■祭神
天児屋根命
[相殿] 誉田別命 菅原道真 大歳神 壺大神


取石(富木)の密集地内に鎮座する社。創建は巨樹と太陽祭祀にまつわるようです。
◎社伝によると仁徳天皇の御代、「兎寸河(とのきかわ)」の西に1本の巨樹があり、朝日を受けると淡路島に夕日を受けると「高安山」を越えるほどに及ぶものであったと。その巨木から船を造ると、速度が早く「枯野(からぬ)」と名付けられたとか。淡路島から天皇が使う寒泉を運んだとされていると。船が壊れたら琴にしたという記述が記にあります。少々誇張が過ぎますが。
◎太陽祭祀に関しては、当地から見て夏至の日に「高安山」の山頂から朝日が昇り、冬至の日には沈むようです。この夏至の日と冬至の日とが逆転するのが坐摩神社。また「トノギ」という言葉は古代新羅語の「日の出、朝日」であるとか(大阪建築士会の資料より)。また「とのぎ」は「とが」との転訛ではないかとされます。これは古代朝鮮の「迎日信仰」であり、「都祁野(とがの)」に通ずるのではないかと(詳細は坐摩神社の記事にて)。さすれば後に拠点を大和国の都祁(つげ)に移した都祁氏の関与も連想されるかと。
◎当社を奉斎したのは、当地を拠点にしていた「殿来連」と考えられています。「新撰姓氏録」には「殿来連 大中臣之同祖 天児屋根命之後也」と記されます。続紀には枚岡神社より祖神の御霊を勧請したと。そのこともあってか、藤原武智麻呂や恵美押勝らが往来したとも。「殿来」は貴人の往来があったからと言われています。以上を見る限りでは都祁氏との接点は見出だせませんが。
◎なお式内社 大歳神社が当社に合祀されています。「大阪府志」によると、かつて付近に同名社が5社あったらしく、いずれが真の式内社であったのか分からないとのこと。



「祓岩」。一の鳥居潜った正面に座します。宮司さんのお話では、創建の頃からのものではないだろうと。