大鳥濱神社 (大鳥羽衣濱神社)


和泉国大鳥郡
大阪府高石市羽衣5-2-6
(境内に駐車可)

■延喜式神名帳
大鳥濱神社 鍬 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
両道入姫命(フタジイリヒメノミコト)


大鳥大社の境外摂社、五社大明神の一。大鳥大社からは南西2kmほどの海岸近くに鎮座します。砂丘で形成された海岸は「高師浜(たかしのはま)」と称され、風光明媚な景勝地として多くの和歌にも詠まれています。また地名の「羽衣」はもちろん、天女の「羽衣伝説」を由来としています。
創建は社伝によると慶雲三年(706年)。この時に五社大明神のうちの三后を祀る三社が同時に創建されたとしています。なかでも当社は「井戸守明神社」として尊崇されてきたとされます。当社の境内社として井戸守稲荷大明神社が鎮座しており、それがこの名残のようです。
ご祭神は両道入姫命、日本武尊の后の一柱。尊との間に仲哀天皇が生まれています。ところが尊の死後36年後に生まれているという矛盾した記述となっています。日本武尊が伝説上の神であったのか、両道入姫命が伝説上なのか、仲哀天皇が夫妻の間に組み込まれたのか、いずれにしても謎であり、史実は歪曲されて記述されています。「井戸守」という水神が祀られていたところに、両道入姫命が被さったと見るべきでしょうか。公式でもそのようにみています。
境内には「羽衣砂丘遺跡」の碑が建てられいます。これは「伽羅橋(きゃらばし)遺跡」の中の一部分。弥生中期から古墳後期・平安後期から室町期にかけての複合型遺跡。古代に関しては土器の他に錘や蛸壺などが出土しており、漁をして生活していたことが分かります。
なおこの「伽羅橋」の由来については二説あるようで、一つは朝鮮半島にあった「大加羅国」からの渡来人が居住し橋を架けたからとする説、もう一つは伽羅木でできた橋を架けたからという説と。仏教などという外来宗教由来の後者の説はさておき、ここでは前者の説に関してのみを。「大加羅国」は小国連合体であった古代朝鮮半島の加羅国のなかでも、特に有力な国に対しての尊称であろうとされています。時代は5世紀後半から6世紀中頃のこと。新羅に滅ぼされ併合されました。




井戸守稲荷大明神