小倉神社 (和歌山市金谷)


紀伊国名草郡
和歌山市金谷692
(境内に停められたと思います)

■祭神
伊弉諾命
伊弉册命
伊曽猛命
蛭子命
大日孁貴命
[配祀] 坂上田村磨呂 菅原道真 誉田別命 高御産巣日命 天児屋根命 猿田彦命 少彦名命 須佐男命 品陀別命 金山彦命 市杵島姫命 丹生都比売命 正哉吾勝勝速日天之忍穂耳命 山田比賣命 事代主命 天鈿女命 大氣長媛命


和歌山市の郊外、こぢんまりとした丘陵程度の頂に鎮座。この丘陵を「金峰山(亀甲山)」と称するようです。古墳とみなすような資料は今のところ見当たりません。
◎創建については、坂上田村磨呂が吉野から金峰大神を勧請したとしています。これは田村磨呂が紀ノ川の大蛇征伐をする際に、金峰大神に祈願勧請したとするもの。田村磨呂が征夷大将軍に任ぜられ蝦夷征討に向かったのは桓武天皇の御代、当社伝承を真実とするなら創建は西暦9世紀初頭となるでしょうか。田村磨呂自体が平安時代には英雄伝説化しており、当社伝承を史実とするのは慎重にならざるを得ません。
◎「金谷」という採鉱を匂わす地名、そして大蛇退治。スサノオ神の神話に始まる古代の「鉄(金属)」の利権を巡る争いに表される、セットのようなものかと。当地でもそれがあったのかもしれません。
◎古代名草邑においては、神武東征軍と名草戸畔軍との激しい合戦が行われました。紀では名草戸畔が誅されたという記述になっているものの、当地の伝承はまったく異なり、皇軍は敗れ追い返されたと。結局皇軍は熊野から大和入りし平定、大和王権を築き上げます。徐々に勢力を拡大していきますが、名草邑の支配はなかなか進まなかったようです。これは当地の伝承を丹念に調べ上げ、名草邑の古代史を復元させたなかひらまい氏によるもの。
そのような中で行われたのが、将軍坂上田村磨呂派遣による武力行使ではないかと。実際に田村磨呂が派遣されたのかどうかはさておき、このような戦があったのかもしれないと考えています。
◎なお「金峰山」という山名は勧請によるものから、「亀甲山」という名はその山容によるものからと伝わっています。
◎境内には「秤石」と称される大きな岩が座します。ここには観音堂などという仏教施設を建てられていたようです。その法要の際に根来から連れて来られた僧侶が唱えた「南無阿弥陀仏」という六文字と、この石とどちらが重いか計ったなどという愚話が残されています。当社の原初の御神体、あるいは磐座や磐境であったように思います。
◎ご祭神には伊曽猛命(五十猛命)が紛れ込んでいます。祀られる由緒についてはまったく伝わっていないようですが、田村磨呂が金峰大神勧請云々の前の原初のご祭神であったのかもしれません。

※写真は2017年11月撮影のものです。