兵主大社 (兵主神社)


近江国野洲郡
滋賀県野洲市五条566
(確か一の鳥居前に駐車スペースがあったかと思います)

■延喜式神名帳
兵主神社 名神大 の比定社

■旧社格
県社

■祭神
八千戈神
[配祀] 手名椎神 足名椎神


琵琶湖の東岸、野洲川にほど近い地に鎮座する式内名神大比定社。
◎社伝によると、景行天皇五十八年に稲背入彦命に命じて大和国「穴師」に八千戈神を祀らせ、これを「兵主大神」として奉斎したが、近江国「高穴穂宮」に遷座された際に「穴太」に社地を定め遷座させたとあるようです。
◎真偽のほどは別として非常に重要な記述が見えます。まず景行天皇の皇子、稲瀬入彦命という名は記紀に記されません。記には記録に残っていない皇子が多数あると記されるため、その一皇子かと思われます。
次に大和国「穴師」に八千戈神を祀らせというのは穴師坐兵主神社のこととされます。
最後に近江国「高穴穂宮」。紀には景行天皇が近江国に行幸し三年間滞在、これを「高穴穂宮」とし天皇はそこで崩御したと。一方、記には景行天皇の記述は見当たらず次の成務天皇の御代に「淡水の志賀の高穴穂宮」と記されます。おそらく300年以上前のこと、伝承自体が曖昧だったのでしょうか。なお推定地は大津市穴太の高穴穂神社(未参拝)。これは琵琶湖の西岸、つまり当社からは琵琶湖の対岸。
◎八千戈神は琵琶湖対岸の日吉大社から亀に乗って琵琶湖を渡り、当社へやって来たという伝承があるようです。日吉大社は高穴穂神社の北2km足らず、「日吉大社の辺り」からやって来た、つまり遷座されたとみるべきでしょうか。

*写真は2017年4月撮影のものです。




拝殿、ご本殿ともに大変美しいものです。


この庭園と八ヶ崎神事が日本遺産に。