若狭彦姫神社


若狭国遠敷郡
福井県小浜市泊7-27
(確か鳥居前に停めたかと思います)

■旧社格
村社

■祭神
天津日高彦火火出見尊
豊玉姫命


若狭彦・姫神の神霊が留まったとされる神社。若狭湾全体の守護神として湾の底に若狭彦神社若狭姫神社が鎮座、そして蟹の挟みのように突き出た半島が二つ、双方に両神の神霊が留まったとされます。こちらはいわゆる右(東)の挟みといった場所。そして左(西)の挟みという場所には島山神社が鎮座しています。
当社の地名が「泊(とまり)」、島山神社の地名が「宮留(みやどめ)」と、非常に分かりやすく出ています。
社伝によると、貞観元年(859年)若狭彦姫の二神がこの村に泊まった(「泊」の地名由来)。やがて神は杉の千本生える里へ向かい上下宮として鎮座したとしています。上下宮とは若狭彦神社と若狭姫神社のこと。
おそらく当地だけでなく島山神社の方にも泊まったかと、さらに上下宮に鎮まる前に白石神社の地(鵜の瀬)に降臨したようです。
ところが若狭彦神社の社伝によると、白石神社への降臨は714年、若狭彦神社への遷座は翌715年と、当社社伝との食い違いが見られます。上下宮は奈良時代の政治、大和国の東大寺と関連付けて考える必要があるかと思いますが(白石神社の「鵜の瀬」から「お水取り」が行われる、また東大寺の真北に「鵜の瀬」がある)、以下関連がありそうな出来事を中心に掲示します。
・701年 聖武天皇(首皇子)が生誕
・705年~ 各地で疫病の流行、飢饉が起こる
・707年 文武天皇が病で崩御、首皇子が幼少のため母の元明天皇が即位
・708年 秩父より銅が献上、「和銅開珎」鋳造
・710年 平城京遷都(この時に藤原不比等が最高権力者に)
・712年 「古事記」献上
・714年 首皇子が元服
・715年 元正天皇に皇位継承(高齢のため)
・743年 大仏造立の詔
・752年 開眼供養
・855年 地震で大仏の首が落ちる
以上からみて、まず「古事記」が献上されたのに合わせて若狭彦姫両大神の降臨神話を作成した可能性があること。秩父より銅が献上されたこと、首皇子の元服が行われたのと同時に、大仏造立構想が練られた可能性があること。すでに疫病の流行などで国力低下、非常に不安定な状態にあったかと思われます。国家鎮護という観念はこの頃に発生しているように思います。また855年の首が落ちる事件は早急に改修が行われたらしく、当社創祀とされる859年には若狭彦姫両大神の新たな降臨神話が付加された可能性もあるかと思っています。

※写真は2017年11月撮影のものです。



穏やかな泊漁港。