◎久美浜町「甲山」登拝・「人喰岩」礼拝


丹後国熊野郡
京都府京丹後市久美浜町小字向磯


ついにこの山に登拝することになりました。

古代丹後の深い謎を紐解くには絶対に必要な神奈備山であると考えています。

そもそもこの旅行で久美浜まで向かう予定はしていませんでした。
天候の加減で向かったわけですが…

久美浜に向かったものの
これまた「甲山」登拝は想定外のこと。

麓のお店でランチを頂き、
その店主さんから、地元民でしか分からないことをいろいろ教えて頂くことができたのがきっかけでした。

前置きはほどほどに
まずはアクセスから。




標高はたかだか191.7m。
健常者なら麓から登拝も十分可能、登山慣れした方なら軽い運動程度でしょうか。

「人喰岩」まで行くなら登山装備があった方が良いかと思います。

私はいつも通り軽い正装、
ビジカジ(カジュアルビジネス服)程度で、ネクタイ・革靴ではありませんが。


(中腹から「人喰岩」を)



山頂までの道はキレイに整備されています。

山頂まで車で登ることも可能。
周遊道は中腹辺りをぐるっと回るだけで山頂へは行けません。

案内板の絵図の通り山頂に式内論社 熊野神社が鎮座し、下ったところに「人喰岩」があります。

今回は案内板写真の左端、「現在地」と書かれたところに駐車し登拝しました。
山頂まで車で登っても「人喰岩」に向かうなら下る必要があり、同じことになります。

所要時間は駐車場からの往復で
健康な方なら40~50分もあれば十分でしょうか。

私は喘息持ちであり、磐の側でしばらく黄昏ていたので(笑)
合計で80分ほどかかっています。

駐車場にはトイレがあり、売店なども…とネットには書かれていますが
トイレは閉鎖、売店はありません。







さて…地元ならではの情報を。

かつて「人喰岩」は女人禁制でした。
「人喰岩」は「じじ岩」と呼ばれ、麓には「ばば岩」というものがあり、女性は「ばば岩」から遙拝していたとのこと(探し出すことは叶わず)。

じじばばと呼ばれるのは
岩の表面がシワみたいにギザギザやからかな~と。

また甲山からはメノウや水晶がたくさん採れたらしいですが、
みんながこぞって漁ったので、今はもう無いだろうと。

ネットで観光情報などを見ても
「そろばん玉石」と呼ばれる玉ずい、石英、たんぱく石から成る白いそろばんの形をした1~5cmの鉱物が産出される…とあるのみ。

とにかく山全体の赤土が印象的、
それは「人喰岩」にも被さっています。

鍛治氏族も黙ってはおれかったように思いますが。

また久美浜湾では
ふぐなどがいくらでも捕れるとのこと。

穏やかな内海となっており、古代から海産の宝庫で漁獲も容易であり、古くから人が暮らし始めたかと思います。



右上端に見える丘陵の向こう側には、式内比定社 意布伎神社が鎮座(後ほど記事UPします)。社名から鍛治氏族(イフク部氏か)が居住していたかと思います。



「人喰岩」の民話を簡潔に。
もちろん岩が人を喰ったというものです。

前面から見ると獣が口を開けたような感じに見えるから。

特に丹後の古代を紐解く材料となりそうなものはありません。
強いて言えば「赤土」くらいのものでしょうか。

(民話は二つあります)

まず一つ目。
この山に入った樵は誰も帰って来ない、村では岩が喰ったんだろうとされていました。
ある時、腕に自信のある若者が山に入り岩と術くらべをしたところ、すっかり仲良しに。
すると岩は口を滑らせて「自分は赤土が嫌いだ」と言ってしまったとか。
そして里の人たちが岩に赤土を塗ると、人を喰うことがなくなったとか。

次に二つ目。
昔この山に老婆が住んでいたらしく、毎日里に出て人を喰っていたとか。
それで山上の熊野神社の神様が怒って、その口に赤土を詰め込んで埋めたそうです。それが後に現れてこの岩になったとか。

この岩は「人面岩」とも呼ばれ、霊峰とともに里人の畏怖の対象であったことが垣間見られます。

熊野郡誌には
智徳兼備の面懇を有することから「智徳岩」と命名されたが、いつの頃からか「シュントク岩」に変化。
それがさらに「ヒトクイ岩(人喰岩)」に転訛したとしています。