稲蔵神社


大和国平群郡
奈良県生駒市小明町1793
(P有)

■祭神
生魂明神
大宮能御膳神(オオミヤノミカシワデノカミ)
(稲蔵明神)


小明(こうみょう)の鎮守社として江戸時代に創建された社。
◎ご本殿横に座す巨大「烏帽子石」が当社の出色。高さ6m、周囲12mもの磐座は圧巻。創建は江戸時代であるものの、この磐座に向かっての祭祀は太古からのものであろうと思われます。また「稲蔵」は「磐座」からの転訛ではないかとも考えています。原初からこの場所にこのような状態で座していたとは考えにくく、動かしてこのように立て起こしたように見受けられます。以上からこの巨石を「磐座」と解して良いかと。また境内社と思われるものにも「磐座」らしきものが散在しています。
◎ご祭神については不明瞭と言わざるを得ません。どうやら饒速日神の行き過ぎた崇拝者が、歪曲した解説書きを拝殿に掲げており複雑化した状態に(過去参拝時には無かったかと)。
「生魂明神」は本来は「イクムスビ」神のことで、宮中八神の一座。生産霊として、モノを活発に生み出す霊力をもった根源神。
「大宮能御膳神」については、記紀など他には見えない神。神名から「御饌」に携わる神であろうと思われます。先に記した歪曲した解説書きには、「大宮能売御膳神」と「売(メ)」を一字付加して「大宮能売神」としていますが、本来は別神かと思います。
◎江戸時代の創建時にこの二座を鎮めたのであろうかと思いますが、太古の祭祀においてはこちらは饒速日神であった可能性があると考えます。当地一帯は饒速日神の痕跡がもっとも色濃く残る地、これほどの磐座をもって饒速日神以外を考える方が不自然かと。
◎生駒には「七森」という民俗的な信仰があり、当社もその一。全17村それぞれに7つの「森(杜)」があったとされます。「モリガミ」さんとしてそれぞれで祀っていたとか。生駒と言えば往馬坐伊古麻都比古神社が最大級の社ですが、合祀により七座になったことに何らかの関連があるのではないかと考えられています。












「生駒市教育委員会」による正式な案内。

饒速日神の行き過ぎた崇拝者による掲示物。もちろん大神神社や籠神社は、断じて饒速日神ではありません。