☆崇道天皇 八島陵



大和国添上郡
奈良市八島町
(詳細住所不明、嶋田神社の西200mほど)
(駐車は下部写真参照)



崇道天皇(早良親王)の治定陵墓。

崇道天皇と言えば、強烈な祟り神として恐れられた皇族。

藤原種継の暗殺事件に関与したとされ、
実兄の桓武天皇により幽閉後に淡路島へ配流されることになります。

ところが無実を訴え断食、
そのまま餓死したとされています。

ま…このことから判断して白なんでしょうね。

桓武天皇たちが祟られていると感じた、
やましいことがあったからかと。

淡路島に墓を設けるも、大和の当地に移され、
天皇に即位していないにもかかわらず「崇道天皇」という諡号を与えられています。

常軌を逸する破格の待遇、
よっぽど恐れていたことと思われます。

相次ぐ桓武天皇周辺の病死、疫病の流行、大洪水など、あらゆる祟りを引き起こしたと考えられたようです。

諡号には「祟」の字が入っています。
他に「祟」が付く崇神天皇は祟られた側、崇徳天皇は祟った側。

墳墓はやや扁平な円形とのこと。

すぐ近くには嶋田神社や崇道天皇神社、御霊神社が点在します。これらは墳丘の頂にあったものが、治定に合わせて遷座、或いは分霊したと伝わります。

なお御陵の目前にハつの岩が並ぶ一角があり、早良親王(崇道天皇)が投げた石だとかの伝承があるとか。「ハつ石」と称するようです。
ところがこちらは、古墳時代後期の横穴式石室が露出した古墳であるとのこと。

*写真は2019年5月と2021年8月撮影のものとが混在しています。


駐車はここがベターかと思います。



こちらが「ハつ石」。

別角度より。