☆ 石光山古墳群



大和国葛上郡
奈良県御所市元町448
(P無し、駐車は下部写真参照) 



■概要
葛城山麓からなだらかに下った丘陵上、宅地造成された中にぽっかりと浮かぶ小山のような一角。かつては100基以上あったものが、開発により現在は50基ほどに。うち前方後円墳は4基か。
前方後円墳・円墳・方墳
■築造時期
5世紀後半から6世紀前半が中心
■埋葬施設
木棺直葬(組合式木棺・割竹形木棺)
横穴式石室・小竹穴式石室・箱型式石室・円筒埴輪棺
■出土品
勾玉・管玉などの装飾品、刀・斧などの鉄製品、馬具、須恵器、埴輪等
■周辺の状況
近鉄忍海駅からほど近いところ。
■被葬者
葛上郡から忍海郡にかけてのこの辺りは鴨氏、葛城氏、あるいは葛城襲津彦が新羅より連れ帰ったとされる渡来人たちが拠点としていた地。それら氏族との関連が考えられる。刀剣等の武器類が比較的少なく、渡来人の可能性は低いとする説も。また単一の氏族集団で形成された群集墳である可能性も。



開発された閑静な住宅地の中の一角に残された古墳群。東西300m、南北200m程度。
小山状のような茂みに踏み込むとまるで異空間。石室が剥き出しとなって、巨石がゴロゴロと散財しています。

5世紀後葉に3基の小型前方後円墳と9基の円墳を端緒に、6世紀代に多くの径10~15mの円墳、7世紀中葉過ぎまで細々と築かれたようです。

「群集墳」としては九州以東において普及したのは6世紀前半のこと。当古墳群は早期に形成されたと言えます。

中でも8号墳は全長35mの前方後円墳。墳丘裾には円筒埴輪列があったとのこと。他に2基が円筒埴輪を樹立。さらにもう3基が樹立されていた可能性があるとのこと。

残存するおよそ50基ほどのうち、6基が円筒埴輪棺。これは樹立された円筒埴輪を棺に転用したもの。転用元の古墳の周りに配置され、またあまり時期を経ずして築造されたもの。転用元古墳の被葬者と何ら関係がある者が被葬者となっている可能性が高いようです。つまり埴輪の転用が許された人物であり、また敬意をもって転用したと考えられています。

この時期で、この地域となると、葛城氏または葛城襲津彦が連れ帰った渡来人たちの古墳群というのが先ず連想されます。

ところが武具の割合が比較的低く、周辺の他の古墳群(笛吹古墳群・山口千塚古墳群・寺口忍海古墳群等)と比較して、武具等の出土が少ないことから、葛城氏系渡来人の古墳ではないという見方がなされています。

この石光山古墳群の中に、明らかに石室用石材とは趣を異にする巨石群が存在します。これらは磐座だったのではないかという思いも。この巨石群について触れている資料は今のところ見当たらず不明。

*写真は2019年5月と2023年10月撮影のものとが混在しています。


公民館らしき建物の横に停め置き。

このような石段があります。


石段が終わると軽い山道。

50m足らずで到着。案内板等一切無いのが残念。


*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。