下部神社
(おりべじんじゃ)


大和国山邊郡
奈良市都祁吐山町3957
(駐車スペース有)

■延喜式神名帳
下部神社の比定社

■旧社格
県社

■祭神
神八井耳命
[配祀] 応神天皇
[合祀] 天児屋根命


奈良市都祁と宇陀市榛原の間に聳える「額井岳(ぬかいだけ)(標高812m)、榛原側からの眺望が美しく「大和富士」とも称されますが、その北側山裾に鎮座する社。
◎その「額井岳」が美しく見えるのは南の榛原側からだけで、当社が「額井岳」に関連するのかどうかは分かりません。下部写真のように、「都介野岳(つげのだけ)」を拝しているようにも考えられます。「都介野岳」は都祁直(ツゲノアタヒ)一族の神奈備山。
◎かつては南東方800mほどの「字ヲリエ」に鎮座していたようです。「下宮」と称し現在も鳥居と石碑が残されているとのこと(現地未確認)
◎室町末期に吐山氏が入植、春日神を勧請して氏神とし、この時に現社地に遷座されました。旧社地の社殿背後には「岩石が壘々と重なり、里人が『いわぐろ』と呼んでいる場所がある。これは『いわくら』と思われる聖域で、当地方によく見られる古代信仰の霊地である」と神社本庁の祭祀祭礼データにあります。
◎この霊地に当社を創建したのは、星川臣氏であると考えられています。星川臣氏は波多氏(大和国高市郡の波多甕井神社を総氏神とし、波多八代宿禰を祖とする)の一族で、壬申の乱に大功があったようです。「新撰姓氏録」には石川朝臣同祖 武内宿禰の後裔と記され、敏達天皇の御宇に星川臣の姓を賜ったと。
この星川臣氏が闘鶏国造の祖である神八井耳命を奉斎したのが当社であると考えられています。






「都介野岳」が正面に。