贄持神社
(にえもつじんじゃ)


大和国宇智郡
奈良県五條市東阿田町
(詳細住所不明、アクセスは下部写真参照)
(P無し、車の進入不可、近くの八幡神社に停めて歩くしか無いと思います)

■祭神
(不明)


縄文早期の遺跡「東阿田稲口・切畑遺跡」の近く、重要な地域に鎮座する小祠。また神武東征に記される「贄持(にえもつ)」との関連が想定される社でも。
当社に関連すると考えられる神武東征の記述は、記においては「(前略)吉野河の河尻に到りましき 時に筌をうちて魚取る人ありき ここに天ツ津の御子(神武天皇)汝は誰ぞと問わしければ 国ツ神 名は贄持の子と曰しき こは阿蛇之鵜養祖」とあり、「贄持の子」が登場します。紀の方も同じような内容。
阿太隼人たちが薩摩国から移住し、「鵜飼」をして漁を行っていたようです。阿太隼人たちが奉戴していた木花咲耶姫は、すぐ近くの阿蛇比売神社に奉斎されています。いつの時代に移住してきたのかは分かりません。そしてそこに神倭磐余彦(後の神武天皇)東征の際に「贄持の子」が現れたというもの。
「鵜飼」と「贄」から連想されるのは「鮎」。古代より神聖な魚と考えられてきたのは漢字からも伺えます。当社の創建由緒等を求める術は今となっては皆無。「贄持」は祖神ということなのでしょうか。八幡神社の氏子さんに伺ったところでは、昔は女性の参拝が許されていなかったもよう。女神が祀られていたということなのかもしれません。すると阿蛇比売、つまり木花咲耶姫こそが当社のご祭神ではないかとも。


八幡神社の前を過ぎてそのまま東へ。

車道は左へカーブ、車はこのまま道なりにすぐの八幡神社駐車場へ。

車道は左へカーブしていますが、当社へはこの畦道を直進。

竹林のねきをそのまま進みます。

やがて太陽光パネルのある畑が見えます。このまま進み、どん突きの柵を左折。

当社が見えました。ここまで八幡神社から徒歩10分ほど。