追分神社 (暗越奈良街道)


大和国添下郡
奈良市中町3910
(P無し、社前道路20~30m東が広くなっておりいつもそこに路駐しています)

■祭神
(不明)


江戸時代後期に登彌神社(石木町)と十六所神社(中町、未参拝)から勧請してきたとされる社。
かつては平城京と難波を結ぶ官道として利用され、また江戸時代には参勤交代や伊勢詣りのルートして大いに賑わった街道。現在は国道308号線として細々と利用されています。
100mほど東に「村井家住宅」というのがあり、ここがいわゆる「追分(分岐点)」。そこの案内から察するに、北の奈良市側にあった村と南の大和郡山市側にあった村との境であるのかと(現在の市境はここではありません)。そして奈良市中町の十六所神社と、奈良市石木町(奈良市の最南端)からそれぞれ分霊されたかと思います。