他田坐天照御魂神社
(おさだにますあまてるみたまじんじゃ)


大和国城上郡
奈良県桜井市太田205
(社前が荒れ地状になっているが駐車可)

■延喜式神名帳
他田坐天照御魂神社 大 月次新嘗相嘗 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
天照御魂命


「纏向遺跡」の西側に隣接して鎮座する社。
◎当社境内はかつて、「日祀り」の祭場であったと考えられています。当社から見ると春秋分の日には「三輪山」山頂から朝日が昇り、夏冬至には「巻向山」から朝日が昇るようです。また敏達天皇の御代に日祀部が設置されており、当社の北すぐに鎮座する草川神社が日下(くさか)からの転訛であるという考えも。式内大社でもあり、大和朝廷にとっては日に祈りを捧げる重要な社でした。
◎特に「纏向遺跡」のなかでも「祭祀土坑群」「銅鐸片・特殊埴輪片」が出土した、「纏向型祭祀」と称される遺跡のすぐ側。これは川のほとりで湧水点まで掘られた土坑で祭祀を行っていたとされるもの。

◎創建時期は不明ながら敏達天皇の御代に再建されたとあり、それまでは祭祀場だけであったものが、そのときに社殿創建に至ったのかもしれません。その敏達天皇の「訳語田宮(おさだのみや)」の比定地でも。祭祀場は「纏向遺跡」に隣接することから、少なくとも弥生末期から古墳初頭と推定されます。
◎境内の隅に磐座あるいは磐境らしき残骸があり、往古はそこで祭祀が行われていたと思われます。塚状にも見受けられ、古墳または方形周溝墓なのかもしれません。
◎論社として桜井市戒重に鎮座する春日神社も論社として挙げられますが、十市郡であり少々難ありかと思われます。


忘れ去られた社。


式内大社であったとは想像もつかない、ご本殿の小祠。


巻向山が真西に。

おそらく古墳であろうと。このように放置されているのが大和らしいところ。

神籬あるいは磐座の残骸らしきもの。