☆長髄彦本拠・鳥見白庭山石碑


大和国添下郡
奈良県生駒市上町

※西白庭台住宅地、南側からの入口付近の「にしたに公園」の東裏側、旧村の中に。二つの石碑は50mほど離れています。
(P無し、史跡前に路駐しか方法無しか)



ここで「長髄彦」神について、深くは書きませんが、

おそらく饒速日神が移ってくる前の、
この辺りを拠点としていた部族の「首長」であろうと。

妹(三炊屋媛)が饒速日神の后となり、
自らは軍事面での総大将的な存在となったのではないかと。

そして神武軍と最後まで戦ったというのは有名な話。


縄文神であるやら
蛇神であるやら
銅鐸祭祀を行っていたやら
脛(すね)が長い人種であるやら
「中洲」に住んでいたやら

いろいろと研究は少しずつ進められていますが、
何せ、神武軍に抵抗した「逆賊」。

「神」にすらされておらず、
「彦」は付いても「命・尊」は付きません。


当ブログ内ではこの英雄を称え

すべての記事において
「神」または、それに見合う尊称を付けています。


・・・前置きが長くなりました。


☆「長髄彦本拠」
☆鳥見白庭山

二つの石碑が少し離れて立てられています。
ネット検索をしてもいつどのような経緯で立てられのか出て来ず。

ただ分かっていることは、
元々は現在の白庭ニュータウン内にあったのが、開発されてしまい現在地に移されたということ。


近鉄さん(開発者)…。。。


だから近鉄さんは…大赤字を…と、

饒速日神の鎮まる生駒山上に遊園地を作ったことに
相当な憤りを感じておられるどこかの宮司さん。

そんなことを思い出しました。


余談が過ぎましたが…。


この辺りには饒速日神・長髄彦神の史跡・痕跡が集中しています。

饒速日神墳墓の伝承地
伊弉諾神社(本来は饒速日神を祀る)
真弓塚
夫婦塚(三炊屋媛)
金鵄発祥之処 石碑

そしてちょっと足を伸ばせば

長髄彦神墳墓(おそらく添御縣坐神社)
磐船神社
(※いずれも訪問済み、リンク無しは記事未作成)



回りくどくなりましたが
ここが本拠であったのでしょう。



ちなみに等彌神社の方や
榛原郡の方にも伝承地がありますが、

そちらはまた別の機会に。