☆孝霊天皇 片丘馬坂陵



大和国葛下郡
奈良県北葛城郡王寺町本町3丁目(詳細住所不明)
(進入路は県道201号線より)
(P有るものの閉じられ進入不可、西へ歩いて5分ほどの「王寺健民運動場」P、もしくは道路向かいに停め置き)



第七代孝霊天皇の治定墓。

丘そのものが樹叢に覆われ、御陵であるために全容を把握できないものの、自然の丘を利用した「山形墳」であるとのこと。それ以外の情報は一切無し。

孝霊天皇と言えば「桃太郎」伝説に深い関わりのある天皇ですが、宮は黒田廬戸宮とされ、桃太郎退治の出発地などとも。

それまでの天皇の宮や陵墓が「畝傍山」周辺、あるいはその西側辺り(大和盆地南部)にあったものが、孝霊天皇の時に初めて大和盆地の真ん中辺りに進出しました。

子女には桃太郎の鬼退治の吉備津彦命やともに戦った稚武彦命、倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトビモモソヒメノミコト)等が知られます。
神武天皇を除き先代までは伝承といったものがほとんど無かったのが、孝霊天皇になってから一気に増えています。

もちろん「欠史八代」とされる天皇の一。記紀には事蹟がほとんど記されず、在位年や后妃、子女が記されるのみ。在位年もそもそもが128歳の設定であり、意図した誤表記。

このような時代のことなので、記紀や「延喜式 諸陵寮」が編纂された時代にはまったく分からなくなっていたように思うのですが。

*写真は2018年11月と2023年11月撮影のものとが混在しています。


車はこのように停め置きました。手前の道は県道201号線。

駐車場は閉じられており利用不可。駐停車禁止場所とはなっていませんが心配なら、かなりの急坂を経たこの先の「王寺健民運動場」Pへ。








石段途中からの東側の麓風景。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。