入鹿神社
(いるかじんじゃ)


大和国高市郡
奈良県橿原市小綱町311
(大日堂と共有P有)

■祭神
素盞嗚尊
蘇我入鹿


社名通り蘇我入鹿を祀る社。仮に素盞嗚神は蘇我氏がその裔であると考えるのであれば、創建当時より祀られていたのかもしれません。
◎創建時期については伝わっていないようです。当社由緒書によれば「廃寺真言宗高野山派仏起山普賢寺の東南部の一段高い所に西に向かって建ち、もとは同寺の鎮守社であったと伝えられる」とあります。そのかつてあったという仏教施設は創建時期がまったく不明とのこと。その本堂は文明十年(1478年)の上棟であるとされてはいます。
◎当地は蘇我氏の面影が色濃く残る地域。藤原氏の血を引く「藤」姓に対しての積年の恨みは、千数百年経った今でも根強く残っているようです。蘇我氏は藤原氏に謀られ逆賊とされてしまいましたが、これは勝者の理論。歴史の行方により藤原氏が逆賊となっていた可能性もあるわけです。高市郡(現在の橿原市や高市郡)では、こういったところが多くあり、肩身の狭い思いをされている「藤」姓も多いようです。
◎あくまでも伝承として、入鹿が幼少期を過ごした家があった、入鹿の母が身を寄せた家があった、「乙巳の変」で討たれた入鹿の首が飛んで来たのが当地であるというものなど。
◎明治には「逆賊」である入鹿が社名にある社が橿原神宮の近くにあるのは都合が悪いとして、「小綱神社」と改めるよう通達があったそうです(2km以上は離れていますが)。氏子たち住民の猛反対にあい、現社名のままとなっているようです。

*写真は2018年10月と2021年1月撮影のものとが混在しています。


私が小学生の頃(今から40数年前)には、奈良県のみにあった「なかま」という授業の中で、「藤」が付く名字の者に対する迫害をしないようにとありました。橿原市曽我町の隣にある小学校で、児童のほとんどは曽我町在住。そしてこの小綱町(しょうこちょう)での迫害事例が挙げられました。