高瀬神社 (伊賀市比土) 


伊賀国伊賀郡
三重県伊賀市比土1971
(P無し、当社から東方50mほどで道路が広くなっているのでいつもそこに停め置いています)

■延喜式神名帳
高瀬神社の論社

■祭神
高瀬神
[合祀] 建速須佐男神 猿田彦神 大物主神 火迦具土神 市杵島比賣神


伊賀市の南西部郊外、「木津川」西岸の農村地帯の小さな集落「比土」に鎮座する社。
◎「比土」は「木津川」東側(中心部は東側か)の高台にあり、「日」の「戸口」からの地名由来とする説も。朝鮮半島系由来を匂わせる地名ですが、銅鐸も出土しており、渡来人が製銅やその鍛冶に従事していたことからの地名由来なのかもしれません。
◎創建由緒等は伝わっていないようです。おそらく衰微していた上に、明治の合祀政策が重なりいっそう分からなくなってしまっているようです。
「伊水温故」をはじめ、「神名帳考証」など多くの資料が「鎰取明神(かぎとりみょうじん)」または「蔵鍵神社」と称していたとしています。ところが「三重県神社史」は、「鎰取」または「蔵鍵」は明治に合祀された神社であると。また当地は元々「十二社権現」が鎮座していたとされ、当社に現存する棟札にもそう記してあるようです。
◎当社は現在、神戸神社の飛地境内社とされています。その社伝には「飛地境内社 高瀬神社を有す」、「蔵鍵社祭神 猿田彦神をはじめ四柱の神を合祀」とあります。
◎以上のことから当社が式内社 高瀬神社の後継社と考えていいのかもしれません。問題はご祭神。さまざまな資料から推測すると、やはり高瀬神としておくべきでしょうか。猿田彦神としているもの、太田命としているもの、高瀬神としているものと意見が別れています。
◎太田命は「倭姫命世紀」に登場する神。倭姫命が伊勢まで来た際に参上、国名を聞かれて「宇治国」と答えています。そして「五十鈴川」の霊地を差し出し伊勢の神宮が創建されたのです。宇治土公(ウジトコ)の祖神であり、猿田彦神の後裔。つまり高瀬神は当地の産土神であり、具体的な神名を与えるなら猿田彦神、または太田命となったと解するべきでしょうか。なぜこの神がここに鎮まるのかは分かりません。

*写真は2017年12月頃、2018年8月頃、2022年7月撮影のものとが混在しています。


隣は集会所。ここに停めてもいいかとも思いますが、近くに停め置きできるのでこちらは利用していません。

既に参拝済みであることをいつも忘れてしまい、これで4度目の参拝に。