忍坂山口坐神社
(おしさかやまぐちにますじんじゃ)


大和国城上郡
奈良県桜井市赤尾42
(P有)

■延喜式神名帳
忍坂山口坐神社 大 月次新嘗の比定社

■旧社格
村社

■祭神


大和国六所山口神社の一社。当社を式内社に比定する点に関しては、大和誌料など各資料とも異論は無いようです。
◎ところが問題は鎮座地が「忍坂」ではなく「赤尾」であること。しかも小丘に鎮座しており、いわゆる「山の口」ではないこと。ご神体は拝殿の位置からして北側になりますが、その方向は至って平地。
以上から考えられることは、遷座してきた可能性が高いということ。そうすると元は「忍坂山(外鎌山、宮山とも)」にあったということになるでしょうか。現在はどちらかというと鳥見山の麓付近に鎮座しています。
ただしこの場合、志賀剛氏が唱える式社分布の法則、つまり式内社同士は半里を隔てるというものに合致しないと思います。その「忍坂山」には忍阪坐生根神社が鎮座しています。比定そのものを間違えているのでしょうか。
◎境内に目を見張るほどの大楠があります。こちらは子孫木とされ、親木(以下便宜上そう呼びます)は足利義満により金閣寺の天井板にされたようです。また親木の樹影は一町余りにも及び、字名は「樹下」だったようです。
それが真相だとすると、その頃にはすでに現社地に鎮座していたという旁証になろうかと思います。結局のところ真相は不明と言わざるを得ません。
◎ご神体については、現在は拝殿裏に高さ65cmの磐座があり、こちらを神の依り代としています。往古は老杉をもってご神体としていたものの枯れてしまい、代わりのものとして立てられたようです。大正末期から昭和の始めの頃のようです。
◎ご祭神については、山口神社であるなら大山祇神ですが、大和志などは「天一神」としています。陰陽道の神であり、強い影響を受けたようです。あるいは天目一箇神の可能性もあるかと思います。

※写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


いつの間にか駐車場が設置。

以前は無かった鳥居代わりのものが拵えられています。

特に境内入口に鳥居は無し。向かって左手に大楠があります。



拝殿前に向かって右側に磐座らしきもの。

ご神体の磐座。その背後に大きな樹がありますが特に注連縄は無し、樹齢は数百年程度か。


磐座を拡大。