府守神社


紀伊国名草郡
和歌山県府中1089
(鳥居をくぐり境内に駐車可)

■旧社格
村社

■祭神
倭武命


紀伊国の総社と考えられている社。通例、総社は国府に建てられるものであり、当地には国府があったと考えられています。
当地を「府中村」と称していたこと、付近の田井の北村(手元の資料では不明)にかつて総社明神があったこと(現在は宇田森の大屋都姫神社に合祀)が理由。また「紀伊続風土記」(江戸時代)や「海草郡誌」(大正時代)にも、当地に国府があったと記されています。遺構がまったく見つかっていないものの、当地に国府があり当社を総社とするいうことでしょうか。可能性があるとすれば総社明神か。
紀伊国国府は貞観十七年(875年)に設置、国府の鬼門の守護神として当社が鎮座しました。紀伊国続風土記には社名の「府守」は「国府」の「守護神」の意味であるとも。
国府に関しては、当社より北西の八幡神社を国府の北西端とするなら、総社明神はそのまま東へ延伸した辺りでしょうか。また南西裏鬼門の位置に影臨寺があります。総じて推定654m四方もあったとされる巨大なものであったと考えられています。
当社はかつて「白鳥の宮(倭武命から)」や「聖天宮」とも称していたようです。明治の神仏分離令により「聖天宮」から現社名に変更されています。ご祭神の倭武命が祀られる理由については不明、特に当地の縁は見出だせません。仏教徒の輩が当社を「聖天宮」とした際に、何らかの関連付けをしたのでしょうか。




「聖天宮」の扁額。