水屋神社


伊勢国飯高郡
三重県松阪市飯高町赤桶2507
(Pは道路向かいに有、国道沿いに鎮座、真っ赤な巨大桶が目印)

■祭神
天児屋根命
素盞嗚尊
天照大神
龍神姫命(閼伽桶の井の主祭神)
櫛稲田姫命
乙加豆知命(オトカズチノミコト)
他12柱


大和と伊勢の国分け伝説、大楠の大樹、元伊勢の候補地、フランスへの分祀など話題も多く注目度の高い神社。「櫛田川」沿いに鎮座、赤い巨大な桶が目を引きます。
春日大社の安住所として天児屋根命が奉祭されました。第11代垂仁天皇の御代、天照大神が当地に巡行した際に天児屋根命と議って川中の巨石(礫石)をもって大和国と伊勢国との境にしたと言われています。また飛鳥時代の648年には「三蓋山(若草山)」から素盞嗚尊、龍神姫命、櫛稲田姫命を勧請したとされています。
◎ところが春日大社の創建は奈良時代前後になってからのことで、社伝とは矛盾。大和の興福寺と伊勢の神宮とで領地争いが奈良時代にあったのではないかとも言われています。奈良に都が造られた710年に、「閼伽桶の井」は興福寺の領地となっています。648年とされる三柱の勧請も、もっと後の時代のことかもしれません。
◎「閼伽桶の井」とは浄水を汲む桶とその井戸のこと。密教用語であり、そのことからも当社の創建は奈良時代あたりといえるでしょうか。その御井からのご神水を二振りの桶に汲み、春日大社へ奉納し続けたという記録があるようです。そして先代宮司により5世紀ぶりに復活したとか。ちなみにその先代宮司はフランスに分祀社 和光神社を創建されました。
◎当社に合祀された滝野明神社は、元伊勢とされる「飯野高宮」の候補地の一つ。4年間天照大神の御魂が鎮まったとされています。倭姫命が当地を訪れた際に乙加豆知命に当国のことを尋ねたようで、飯高国と答えたと「倭姫命世紀」には記されています。その乙加豆知命は当地を拠点とした飯高氏の祖神で、国津神。この質問と返答のやり取りは国譲りのことなのかもしれません。
◎境内の奥の方には樹齢千年以上の大楠があり、非常に神寂びた雰囲気を漂わせています。またさらに奥へ進むと礫石を拝することができるようになっています。


このひときわ目立つ鮮明な赤の桶が当社への目印。




神寂びた聖地といった雰囲気は、早朝参拝のせいか増長されたように思います。

礫石に対しての鳥居。