神武天皇聖跡顕彰碑
「狭井河之上(さいがわのほとり)」


全国に19ヵ所ある神武天皇聖跡顕彰碑、
うち7ヵ所が大和国にあります。


こちらは大神神社、大物主神の荒魂を祀る狭井神社から北へ歩いて10分足らず、ほぼ山邉の道沿いに。

付近には大神神社摂社である貴船神社や、さらに北には龗神神社も。

山邉の道の有名な和カフェ「花もり」さんの南隣といった方が分かり良いでしょうか。
(住所検索するならこちらで)


当地は伝説の狭井川が流れる地。

この川のほとりで七人の乙女が遊んでいたところに神武天皇が来られ、
先頭に立っていた伊須気余理比売(イスケヨリヒメ、媛蹈鞴五十鈴姫)を后として選んだとあります。

その姫は大物主神と勢夜蛇多良姫との間の娘。

大物主神が朱丹矢と化して姫と結ばれるという、記紀ではお馴染みの婚姻譚。
大和の在地豪族と、日向から進出してきた神倭磐余彦神(後の神武天皇)との懐柔政策かと思われます。

当地には伊須気余理姫の住居があったと考えられています。


「狭井河よ 雲立ちわたり 畝傍山 木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす」 ─伊須気余理比売─

有名な万葉歌です。

これは神武天皇が日向にいたときの御子である手研耳命(タギシミミノミコト)が、神武天皇の崩御後に未亡人となった姫に言い寄ったときの歌。

3人の御子たちの身の危険を感じた姫は、歌によりそのことをほのめかしました。
俗に「手研耳の反逆」などと言われています。