摩氣神社
(まけじんじゃ)


丹波国船井郡
京都府南丹市園部町竹井字宮ノ谷3
(P有)

■延喜式神名帳
麻氣神社 名神大 の比定社

■旧社格
府社

■祭神
大御饌津彦命(オオミケツヒコノミコト)


長閑な村里に佇む古社。ごくわずかな民家と田畑が一面に広がるのみですが、古墳がいくつかあるようで古くから開けた土地だったようです。
◎創建は社伝では嵯峨天皇弘仁二年(811年)としていますが、「新抄格勅符抄」には称徳天皇神護景雲四年(770年)に神封一戸を奉じるとあり、さらに遡るはず。
◎現在の社名になったのは白河天皇の行幸の際の復興によるもの。 以降皇室の崇敬が篤く現在に至っているようです。その社名「摩氣(まけ)」はご祭神にも表れる「御饌(みけ)」のこと。「ま」と「み」は通音であるからとしています。
◎ご祭神の大御饌津彦神は、天児屋根神の御子神である天押雲根命と同神であるとされています。もちろん「食」にまつわる神ですが、この神は特に「水」が関わります。
延喜式にある「中臣寿詞」には、以下のようにあります。ニニギ神降臨の際に豊原瑞穂国を「天津御饌」を永遠の御饌として幾千変わることなく尊い土地として治めるように指令が下り、天児屋根神は付き従いました。そして皇孫の御食の水には「天津水」を加えて奉ったのですが、その「天津水」を天上に乞いに上がったのが御子神の天忍雲根神でした。天神漏岐命(アメノカモロキノミコト)・神漏美命の詔により天玉串を立て天津詔詞の太詔詞を奏上し、「天八井の水」が授けられました。以降、大嘗祭に奉る大御酒を醸す水に、また皇孫のに奉る御食の水にも用いられるようになりました。
何も無いような田園の中に祀られる名神大社、崇敬が極めて篤いのはこのご由緒によるものと思われます。
◎なお背後に控える金胎寺山は典型的な神奈備山、本来のご神体と考えて間違いないと思います。元の鎮座地はこの山の麓であったこともその証。宮司さんはそうではなさそうなことを言っておられましたが…。



こちらが境内にある天津御饌の水、天津八井の泉。


神門も豪華な造り。





古代祭祀跡でしょうか。


こちらが金胎寺山、典型的な三角垂の美しい神奈備山。これまで数多く見た神奈備の中でも美しさは最上級。