咸古神社
(かんこじんじゃ・こんくじんじゃ)


河内国石川郡
大阪府富田林市竜泉寺886
(Pは竜泉寺のものを利用、竜泉寺境内を通過するため拝観料500円が必要)

■延喜式神名帳
咸古神社 鍬靫 の比定社
[合祀神の天太玉神] 咸古佐備神社の論社

■旧社格
村社

■祭神
神八井耳尊
[相殿] 天太玉命



龍泉寺がある「嶽山」の山頂近くに鎮座する。その仏教施設境内を通って奥に鎮まります。つまり後から龍泉寺が被さったと考えるべきかと。
◎この辺りは蘇我氏の本貫地「石川」であり、ここから周囲すべてを見下ろせることから総本山的な寺だったと思われます。想像するに、ここは古代の神祀りの場である聖地、そこに龍泉寺とその鎮守社として咸古神社が創建されたのではないかと。「龍」伝承が残っているため、原初は龍神を祀る社だったのでしょうか。
◎当地周辺は紺口県主が居住するところでもありました。「新撰姓氏録」に「河内国 皇別 紺口県主 志紀県主同祖 神八井耳命之後也」とある氏族。つまり多氏系。寛弘寺古墳群が北東麓の丘陵地(現在は開発され平地)にあり、一族のものと見られています。
◎創建時期はその仏教施設の寺伝が弘仁十四年(823年)としています。これは空海という僧侶が当地で加持祈祷を行う行うと、龍が再来したので当地の鎮守としたというもの。
ところがその仏教施設の奥に進むと鳥居と石垣があり、樵夫が現れ当地の地主神であると言ったと伝えています。つまりその弘仁十四年には既に社が存在していたということに。仏教施設が蘇我馬子により創建されたという、推古天皇二年(594年)だったのでしょうか。
◎その空海などという僧侶の件で、龍の再来により水が豊かになり仏教施設境内の池中に三つの島ができ、弁財天・韋駄天・聖天の神祠を建てたとあります(下部に写真あり)。
◎ご祭神はその紺口県主の祖神である神八井耳尊。明治の神仏分離令までは当社が牛頭天王社となっていたことから、進乃男神とされていたものの、神八井耳尊に祭神替えされたもよう。「大阪府誌」は天児屋根命としていますが根拠は不明。
◎ご祭神には天太玉神も見え、これは式内社 咸古佐備神社が合祀されたもよう。当社とのつながりは不明。
◎穢れた仏教施設の境内を通り抜け咸古神社の鳥居を潜ると別世界、一気に気温も下がり非常に神寂びた空気を感じます。荒れ狂う龍神の住処だったのでしょうか。

*写真は2018年2月と2022年4月撮影のものとが混在しています。



拝観料を支払い龍泉寺の境内を通り抜けます。

向かって左は山門、当社は向かって右へ。

一の鳥居

仏教施設と当社二の鳥居。




木々に覆われ別世界。









龍泉寺の境内社、弁財天・韋駄天・聖天。

こちらで空海とかいう僧侶が祈雨をした場所、龍神が祀られているのでしょう。

磐境か。祈雨をした場所の向かって左手にあります。

麓を。