磯良神社 (疣水神社)
(いそらじんじゃ・いぼみずじんじゃ)


摂津国島下郡
大阪府茨木市三島丘1-4-29
(西側に大きなP有)

■祭神
磯良大神


「安威川(あいがわ)」中流域の東岸、茨木市「三島丘」に鎮座する社。
新屋坐天照御魂神社(西川原)の旧社地に鎮座、元々はその境内社 東之神社に祀られていたとのこと。疣が取れるなどという風説のおかげで、こちらの神社の方が有名になってしまいました。新屋坐天照御魂神社(西川原)の遷座は寛文九年(1669年)。天正(1573~1592年)以降社領を失い衰微したとあることから、おそらく戦乱に巻き込まれたものと思われます。
◎「玉の井」というご神水が疣水として霊験あらたかなどと言われています。当社由緒書に表される伝承は以下の通り。
━━神功皇后が三韓への御征途に際し、皇后はこの地に立ち寄られて天照御魂神社に御祈願あらせられ、社頭に湧き出る「玉の井」でお顔をお洗いになられた。すると不思議にも、洗われるや否やお美しい皇后のお顔がみるみる疣や吹き出もので覆われて、醜い男のようなお姿になられた。「これは御神慮のたまもの」と皇后は力強く男装されて彼の地に向かわれたが、そのため女性の御身をもって敵に侮られることもなく、みごとな戦果をおさめられた。そして御凱旋ののち夢のお告げにより再びこの「玉の井」でお顔をお洗いになると、お顔はたちまちもとの美しさに戻られたという━━
◎神功皇后の時代に天照御魂神社が鎮座していたとは考えられず、あくまでも伝承の範疇かと。ただし当時より霊地とみなされていたものと考えます。
「疣や吹き出もので覆われて…」とあるのは安曇磯良神を彷彿とさせるもの。これが当社ご祭神が鎮座する原因になったかと思われます。また安曇磯良神が生まれ変わり武内宿禰となったという節が、皇后にまつわる一連の伝承から見受けられます。
◎「いぼ」が「疣」となったのはおそらく後世の後付けでしょうが、本来は播磨国揖保郡に鎮座する粒坐天照神社の「粒(いいぼ)」または「揖保(いぼ)」と関係しているのではないでしょうか。そちらでは「稲種」とされているようですが。
◎当社の創祀由緒はまったく不明。元々福井にあった新屋坐天照御魂神社を三社に分けたのは神功皇后。そして安曇磯良神、住吉神(当社の境内社で祀られる)、さらに武内宿禰、これらの神々はいずれも関連のある神々。後の時代に神功皇后にちなむ祭神たちを祀っただけなのかもしれません。「玉の井」があるために、本家が移動させられたのか、いずれも想像の範囲内ですが。

*写真は2018年2月と2022年3月撮影のものとが混在しています。


かがまないと潜れない小鳥居(一の鳥居)。

二の鳥居


ご神水「疣水」。

2022年3月現在はこのような状態に。



ご神水の横にはこちらの三柱が祀られています。

駐車場側の鳥居。



賽銭箱には貝が。



住吉大神と神功皇后を祀る境内社。

皇后お手植えという「井保桜」。現在は枯死。