山邊御縣坐神社 (天理市別所町)
(やまのべのみあがたにますじんじゃ)


大和国山邉郡
奈良県天理市別所町726
(天理教教祖墓地や天理養徳院の方から入り竹やぶ通路前に停め置き、徒歩5分足らず)

■延喜式神名帳
山邉御縣坐神社 大 の論社

■祭神
建麻利根命


大和国に6箇所ある御縣の守護神として祀られる大和六御縣坐社の一社。同じ天理市の西井戸堂町に同名他社があり、どちらも式内大社の論社になっています。
◎創建年代は不詳。紀の大化元年(645年)の条に、六つの縣に遣わされる使者に対し、戸籍を作り検地を命じているため、この時に各六御縣坐社が創建されたと見るのが一般的。
◎ご祭神の建麻利根命は「先代旧事本紀」には、「饒速日命六世孫、石作連(ヤザコノムラジ) 桑田連 山邊縣主等の祖」と記されます。垂仁天皇皇后 日葉酢媛のために石棺を作り献上、大連公の姓を賜っています。
「御縣坐社」は大和の六つの縣主が祀ったという社。当社は山邊縣主ということで、祖神を祀ったとするのは至極当然のこと。
◎別に豊受大神をご祭神とする見方も。「御縣坐社」とは、大和国六郡それぞれから朝廷に甘菜蔬菜を献上、その栽培地の神霊を祀ったという社のこと。現在は十市御縣坐神社のみ豊受大神とし、他は各縣主の祖神を祀るとしています。いずれもご祭神は確定的なものではなく、豊受大神をご祭神とする説も。
◎ご本殿の背後の玉垣の外側に磐境(磐座)らしき石組があり、明治中頃までは本殿もなくそこを祭祀場所としていたとのこと。そして現在は斎宮としているとされます(下部に写真掲載)。
◎また、明治の中頃に玉垣の中を発掘したところ刀剣や金環などが出土したそうで、その上にご本殿を建てたとされています。かつては「玉垣宮」と称されていたとも。
◎御縣坐社とするには少々高所すぎるのではという懸念もありますが、いずれにしても往古から鎮座する由緒ある社のようです。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


いつもこの竹やぶ通路前に停め置き、ここからは歩いています。

おそらくこの辺りに駐車できるのでしょうが、未だ知りません。




ついに見つけた磐境。

拡大したもの。