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Poco a poco -難病と生きる-

スペイン語の「poco a poco」は、日本語では「少しずつ」「ゆっくりゆっくり」という意味です。遺伝性による難病、脊髄小脳変性症を患っていると診断された2015年7月(当時34歳)以降、少しずつ身体が動かなくなる恐怖と闘いながら、今日を生きる僕の日記です。恐縮です。

朝食は、部屋で支給された御膳でも良かったのだが、せっかくの旅行である。離れにある食事施設まで散歩がてら、徒歩の距離。気持ちの良い快晴。雲一つ無い青空。但し、ここは軽井沢。外気が冷たい。この感覚は、普段では味わえない。流石は旅行における非日常の体験。

 

 

スマホを部屋に置き忘れた為、貴重な朝食のシーンはお預け。ただ、驚きの高品質。中は優雅な時間。ご飯と味噌汁を、一杯ずつお代わりしてしまった。ご馳走様でした。再び歩いて部屋まで戻り、本日の作戦タイム。帰りの時間まで何をしようか。軽井沢に明るい友人が提案。

 

 
この時期の風物詩と言えば。そうだね、紅葉だね。特に軽井沢の鮮やかな樹林には、健常な頃から注目していた。だが残念ながら病気の症状が加速度的に進行してからというもの、視線を上げると目が回る。だから、なるべく足元に集中。ほら、前の人の足、轢きたくないし。

 

 

訪れたのは雲場池。池の周りをグルっと1周、20分ほどの遊歩道を歩けると聞く。運転手が、車を停めて戻ってくるまで、先に3名で散策スタート。も、進みにくい。観光客が多く、その殆どはインバウンド。急に足を止める。あとは足場が悪い。車椅子じゃなきゃ気付かない。

 

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そこから徒歩の距離にある旧軽井沢銀座通りを目的地に。道中に並ぶ、アップルパイの専門店、評判のコロッケ屋、人気の珈琲ショップと、都度足止めを食う。空腹具合を鑑みれば、朝食を沢山食べた影響で、既に満たされている。界隈で有名な蕎麦屋は、次回のお楽しみ。

 

 

昨日の記事の冒頭で触れた膀胱問題。言ってみれば、トイレが近い。分刻みのスケジュールを進行している中での、「ご免、お手洗いに寄って欲しい」は、言いにくいよな。だからできるだけ我慢する。車は快調なペースで地元のレストラン街へ。ふと渋滞速報。何と通行止め。

まずは佐久市で一番だと評判のピッツェリアに来ている。佐久市ってどこだと疑問に思う方もいるだろう。長野県東信地方。群馬県との県境に位置するエリア。僕らの拠点である八王子市内からだと、3時間程度の距離。ずばり旅行。男子が4名。健常者が3名と障害者の僕。

 

 
彼らとの旅行も、何度目だろう。僕の容態を知ってくれているので、安心感が強い。が、不安材料もある。膀胱問題。午前中、1時間おきにトイレに行くほどの脆弱性。今回の旅でも迷惑を掛けた。さて人気のレストラン。素敵な路面店。でも階段があって、諦める。普段ならね。

 

 
その後、現地で有名な酒屋に赴き、酒を調達する面々。次いで、お菓子や缶ビールを買うため、スーパーへ。チェックインの時間に合わせて、宿泊施設に向かう。事前にHPで確認していたが、物凄いクオリティ。まるで、自分が何か特別なことをした選ばれし殿上人かと勘違い。

 

 

夕飯は火鍋。ご存知、中華の鍋料理だね。スタッフが二名で食材や調理器具を運び入れてくれ、簡単な手順をレクチャーしてくれる。ご馳走のお供に、仲間が事前に調達した日本酒やワイン、泡など美酒。希少な国産ウイスキーで作ったハイボールなど、酒池肉林。最高かよ。

 

 

その後、しっかりと酔いを醒ます。何故って。あのね。この高級な施設には、温泉やサウナが併設されている。この日の為に、水着を調達した。仲間が肩を貸してくれるって。数日前に、温泉への憧れを書いたばかり。早速、夢が実現する。写真は撮ったが、見せられないよ。

 

 

同年代の男が4人揃うと。桃鉄だね。ご存知の無い方に補足説明。プレイヤーが鉄道会社の社長となり、サイコロを振って日本全国を巡り、物件を購入して資産を競うすごろく形式のゲーム。Nintendo Switch 2。100インチを軽く超える大型スクリーンでね。夜も更けてくる。

友人に、最近の仕事の調子を聞くじゃない。すると、返す刀で僕の様子を聞いてくる。「最近、NHKに取り上げてもらったよ」と報告して、実際の映像を彼女らに見せる。凄いですね。流石ですと、褒めてくれる友人連中。すると一人から更に質問が。労働時間はどれぐらい――。

 

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理想の月間労働時間

 

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人間は、どんな些細な目標でも追わないと、とことん自堕落に陥る。とても弱い生物だ。そんなふうに、僕は思うよ。え。何だってそんなにネガティブかって。朝から冷たい雨が降る日曜日。重い眩暈が誘発。部屋から出ることができなかった。予定があったの。交流会。患者会。

 

 

雨が理由で身動きが取れないだと。おいおい。そんなにか弱い生き物かよ。お前。あれだよな。健常者の頃は、雪が降りしきる悪天候の中を、後続に襷を繋ぐ駅伝に出ていたこともあったよな。フルマラソンを、サブ4(4時間切り)を目標に、日々トレーニングをしていたよな。

 

 

写真フォルダの履歴を漁る。確定診断を受けるより前の当時を振り返る。あの頃は楽しかったな。自家用車を運転してさ、隣には交際相手が座っていて、膝元に目をやると、ドライブが大好きだった愛犬が尻尾を振り回している。もう戻れない。運転免許、返納しちゃったしね。

 

さて今回も平日の夜分。今回も友人と会食。今回も池袋時代の同僚。異なるのは性別。前回は女子会だった。今回はメンズ会。次に所属も異なる。対面する二名はクリエイター集団。隣の彼は同じ人材紹介出身だが。彼の連絡先を頼って、無事にスケジューリング。場所は調布。

 

 

いつものイタリアンは僕が押さえた。お洒落な女子会ならともかく、全員が40代の男子会だぜ。イタリアンだなんて。と思ったが、喜んでくれる面々。思い出した。ずっと僕の体調を気遣ってくれた仲間達。うち1名とは、5年ぐらい振りか。声が出ませんと僕。大丈夫だよと彼。

 

 
3つの事業部から編成されていた池袋時代の職場構成。病気が発覚して、退職(次への転職)した後、紆余曲折を経て、人事部門として戻った職場。経営者の病気によって、離散を余儀なくされた組織だが、僕は思うよ。毎日が楽しかった。仲間が熱かった。良い職場だったな。