桜を見ると思い出す | Poco a poco -難病と生きる-

Poco a poco -難病と生きる-

スペイン語の「poco a poco」は、日本語では「少しずつ」「ゆっくりゆっくり」という意味です。遺伝性による難病、脊髄小脳変性症を患っていると診断された2015年7月(当時34歳)以降、少しずつ身体が動かなくなる恐怖と闘いながら、今日を生きる僕の日記です。恐縮です。

あれだけ情熱を燃やしていた仕事を辞めた。14年前の記憶ね。結果的には会社都合になったが、次が決まっていない状態での離職に、躊躇いは無かったのか。まだ20代。半年前には、年収1,000万円でオファーも受けている(断ったが)。大丈夫だろうと高を括った。甘かった。

 

では何故、好きだった職場を離れる決断をしたのか。理由は大きくは2点。まず始めはリーマンショックの影響。元々、クライアントワークが好きで入社したヘッドハンティング会社。待遇の良さや組織の大きさにも惹かれたが、かつての魅力は大きく失われてしまったんだ。

 

金融危機前の新組織を発表する段階では、僕がマネージャーとなり、部下が2名ほど決まっていた。しかし話は空中分解。その後も、冷え込む人材採用市場。僕も絶不調の体たらく。トップから叱咤が飛ぶ。子会社出向。からの、本社に出戻り。しかし就いた仕事は営業補佐。

 

クライアントの為の仕事ができなくて、大好きな同僚も大半がいなくなっていて、更には給与は半減でさ。ついでに言えば、実家からの勤務時間の長さ。毎朝、スーツに着替えてさ、これから働く意味を考えるわけ。無駄な自問自答。これが1つ目の退職理由。もう一つあるよ。

 

 

大好きだった母親が、まだ実家で闘病生活を送っていた頃。ガン検診で、まさかの大病発覚。脊髄小脳変性症だって大変そうだったのに、ここに来て何でガン。母は、告知されてすぐに死を意識した。僕を捕まえて諭す。死ぬ前に、満開の桜が見たい。これが決め手。え。マジよ。

 

 

次の職場が決まるまで苦労した。何せ、採用ニーズは尻つぼみ。どこも人を増やす余裕なんて無いわけで。段々と、自信を喪失する。外資系の人材派遣会社なんて、君の前の職場は私もよく知っているんだけど、そこに比べたら我々の仕事なんて雑用のようなものよ。だってさ。