15年前と現在 | Poco a poco -難病と生きる-

Poco a poco -難病と生きる-

スペイン語の「poco a poco」は、日本語では「少しずつ」「ゆっくりゆっくり」という意味です。遺伝性による難病、脊髄小脳変性症を患っていると診断された2015年7月(当時34歳)以降、少しずつ身体が動かなくなる恐怖と闘いながら、今日を生きる僕の日記です。恐縮です。

43歳になった。誕生日おめでとう、俺。お釈迦様と同じ誕生日。今は何がめでたいのか分からない。3年も経てば、体調が悪化しているのが目に見えて分かる。3年前の40歳は、まだ一人暮らしをしていた。37歳の誕生日は、交際相手と一緒だった。34歳の春は、病気知らずだった。

 

 

都内は桜が満開の季節。近所の川沿いを歩く。否。電動車椅子で進む。幸せそうな家族連れをやり過ごす。畜生。何で僕は一人なんだ。隣にいたはずの、元カノの亡霊を追っている。今も忘れることはない。花見の時期の風物詩と言えば、やはり同僚との宴会だ。盛り上がった。


 

ちょっと、堅気っぽくない人が何人か写ってますが、安心してください。ちゃんと同僚です。リーマンショック(=金融危機)の煽りをもろに食らって空中分解をした、当時の国内最大手エグゼクティブ・サーチ・エージェント(=ヘッドハンティング会社)は、楽しかった。

 

 

今の若い世代って、コスパ重視でさ、会社の飲み会に極力参加しない方針なのだとか。僕から言わせれば、勿体ない。同僚と関係性を構築することは、仕事で活きてくる。無茶なお願いも聞いてくれるようになるのだ。だから、顔を売っておいて損はしない。て言うか、楽しい。

 

 

ここは千鳥ヶ淵公園。ご存知、皇居の外周。緑道も整備されていて、この時期は観光客が凄いんだ。ほら、満開の桜が綺麗でしょう。ここにデカいブルーシートを広げてさ、酒だ肴だ、仕事の話だで盛り上がる。成績が優秀だった僕は、場所取りスタッフから免除。助かった。

 

 

気合いの入った女性社員を発見する。日本酒の一升瓶を片手で直に飲んでいる。多分、誰かに命令されたんだな。すかさず、水を持っていく。このホスピタリティよ。おかげでこの後、件の女子からの株も急上昇。その後、交際に至ったかは、まだ内緒なんだぜ。聞くなよ、野暮が。

 

 

随分、前の当時だと記憶していたが、それもそのはず。15年も前だった。わお。僕にとって当たり前だった同僚という仲間の存在。今は誰もいない。今日もこの後、仕事だよ。PCと向き合うリモートワーク。寂しいな。寂しい寂しい寂しい。仲間が欲しい。ひもじい。寂しい。