【追憶】バイト先の送別会 | Poco a poco -難病と生きる-

Poco a poco -難病と生きる-

スペイン語の「poco a poco」は、日本語では「少しずつ」「ゆっくりゆっくり」という意味です。遺伝性による難病、脊髄小脳変性症を患っていると診断された2015年7月(当時34歳)以降、少しずつ身体が動かなくなる恐怖と闘いながら、今日を生きる僕の日記です。恐縮です。

新社会人デビューまであと僅か。その前に、身辺整理をしないといけない。大学は、無事に卒業過程を全て終えた。卒論も出したしね。卒業式まであと少し。他に何があるっけ。そうだ、バイト先にお礼を伝えなきゃ。大学生活を彩る4年間、世話になった地元の焼肉店。沢山学んだ。

 

 

幹線道路に面した大型店。週末はお客様が並ぶほどの人気だった。だったと言うのは、過去の産物。今はもう、跡形もない。寂しいね。卒業後も、暫く通ったよ。後輩の顔も知らないアルバイト店員に、「お名前は存じております」と恐縮されながら挨拶されたのも、当時は良い思い出。

 

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学生時代の青春は、何もカッパの会に限らない。バイト仲間の同年代の男女で、よく遊びに出掛けた。当時、お茶の間で人気を博していた「あいのり」のラブワゴンが後楽園ゆうえんちとタイアップする企画に、友人が申し込んだ。甘酸っぱかった当時の記憶。戻れるなら戻りたい。

 

 

オーナーの男性。心の師として、何でも相談させてもらった。例えば大学を辞めて専門学校に編入しようかと考えていた当時。冷静に聞いてくれて、最後は的確なアドバイスを貰った。何度もバイトを辞めようと思ったが、最後まで続けられたのはこの方のおかげ。今も元気だろうか。

 

 

店長の男性。僕はホール側。彼はキッチン側。当初は彼らが放つ排他的な雰囲気に近づきがたかった。今は驚くほど関係が緩和し、大好きな人間になっている。地元の名物居酒屋「だんだんどうも」のオーナー兼店長として、僕の現状を応援してくれている。汚い罵声を以てね。

 

 

当時は確か入社先の内定者研修とかが始まって。サラリーマンとしての立ち振る舞いにビビっていた。一方でここは、慣れ親しんだ飲食店のホールスタッフ。社会性とかコミュニケーション力とか、様々なスキルを身につけた。辛いこともあったけど、それさえも含めて、良い思い出。