【追憶】新卒同期 | Poco a poco -難病と生きる-

Poco a poco -難病と生きる-

スペイン語の「poco a poco」は、日本語では「少しずつ」「ゆっくりゆっくり」という意味です。遺伝性による難病、脊髄小脳変性症を患っていると診断された2015年7月(当時34歳)以降、少しずつ身体が動かなくなる恐怖と闘いながら、今日を生きる僕の日記です。恐縮です。

以前に書いた通り、僕の志望はスポーツジャーナリストだった。報道の世界。マスコミ業界。ご存知の通り、狭き門。在籍する大学は、就活戦線において弱小校。だが当時、メディアに登場する名物講師がいらした。マスコミ志望の学生が有志で集まるゼミ。僕はゼミ長として奮闘。

 

image

 

更にはカッパの会で情報感度の高い学生と切磋琢磨した。彼らと外部のセミナーで凌ぎを削った。血反吐を吐く努力を経て、それでも難関だった志望業界。紆余曲折を経て、人材業界に辿り着いた。求職者と求人企業を繋ぐ仕事。持ち前のホスピタリティーが評価された格好。

 

image

 

内定先は上場企業。所謂大手。同期も沢山いた。内定後、入社までの時間で彼らとの距離を近づけることに心血を注いだ。同期入社の中には、人に教えるほどのスノボ好きがいた。彼の企画のスノボ旅行。初挑戦のスノボは、これまでで随一と言わしめるほどの手応えを掴む。

 

image

 

人材ビジネスに20名の同期がいたが、もう一つの柱が教育事業。同期はグループ含めると50名にもなった。当時、人材チームのリーダーを仰せつかっていた。嘘じゃないよ。親睦を深めるべく、交流飲み会が頻繁にあった。飲み会慣れしていて良かった。週8日ペースで飲んでいた。

 

image

 

内定式に次いで、入社式でも代表で挨拶させてもらった。僕にかかる期待値は、配属部署に表れる。東京本社。一番売上げの高い事業部。更には1係1課。最先鋭が揃う部隊。僕はここでボコボコにやられた。学生時代の武装力など、微塵も通用しなかった。毎日が地獄だった。

 

image

 

始業の1時間前には出社して、全社員の机を拭いてさ。営業ロープレも始業前に済ませてさ。終業後は役員の有難い説教。営業時間中は飛び込み営業で、名刺を集める同期レースに参戦。今のご時世、スリーアウトでチェンジだ。時代だね。僕は早々に退職した。診断書付きで。