【追憶】カッパの会(創世期) | Poco a poco -難病と生きる-

Poco a poco -難病と生きる-

スペイン語の「poco a poco」は、日本語では「少しずつ」「ゆっくりゆっくり」という意味です。遺伝性による難病、脊髄小脳変性症を患っていると診断された2015年7月(当時34歳)以降、少しずつ身体が動かなくなる恐怖と闘いながら、今日を生きる僕の日記です。恐縮です。

僕は友人が多い。バイト先は焼肉店にステーキ店。大学にもできたし、小学校からの同級生にもいた。後にできる新卒同期の男性友人含め、時間を共有したい親友は幸運なことに多い。不幸なのは、時間が足りない。彼らに共通点は無いものか。そうだ。僕と仲が良いとかどうか。

 

 

焼肉店のバイトの同期。後に二人で卒業旅行にイタリアを自由に回るまでに意気投合した彼が持つ天賦の才が企画力。彼と当時の交際相手(今も僕と親友)の女性が持つネットワークと明るい性格、そして僕が集客力を担保する。学校の垣根を超えた集まり「カッパの会」が誕生。

 

 

 

それぞれの初顔合わせ(僕以外)は夏キャンプだった。奥多摩は氷川の渓流沿い。互いが打ち解けるまでに、時間が掛からなかった。鮎の摑み獲り、ビストロスマップ(予算内で夕飯を創作料理)、推理ゲームなど、企画立案に才能を発揮する友人のタクトによって盛り上がる。

 

 

 

仲間を集めて体育館を押さえる。男女ペアでバドミントンに興じることが多かった。本格志向なら、テニスが面白かった。大学の受験勉強に励んでいる時期に、僕は京王テニススクール(名門)で月謝を払って通っていた。テニスコートを予約して、よく仲間うちで大会を企画した。

 

 

 

活動を続けるうちに、規模が大きくなっていく。仲間が増えていく。集会場を借りて、クリスマス会を催した。ランダムに振り分けたチームに分かれて、クリスマスを連想する創作ケーキを作るゲーム。優勝して、何かのチケットを手に入れた。その後、誰とどこへ行ったかは、忘れた。

 

 


サークル仲間で良く出掛けた。長野県は志賀高原スキー場。皆スノーボードだった中、僕だけ頑なにスキー。大学の研修旅行(任意)に参加して、検定試験に合格した。1級じゃないよ。スノーボードを覚えるのはもう少し後。今も時々思い出す。新雪の軋む感触。冷気を切る風の音。

 

 

 

会場を貸し切る。友人が推す企画を遂行する為。一枚が一畳大の巨大な百人一首大会とか、面白そうじゃね。制作過程、準備の風景が目に浮かぶ。断る理由が見当たらない。親友の発想力には、毎回舌を巻く。そろそろ大きなイベントを仕切ろうか。次回はボーリング大会。