年収1,000万円を提示された話 | Poco a poco -難病と生きる-

Poco a poco -難病と生きる-

スペイン語の「poco a poco」は、日本語では「少しずつ」「ゆっくりゆっくり」という意味です。遺伝性による難病、脊髄小脳変性症を患っていると診断された2015年7月(当時34歳)以降、少しずつ身体が動かなくなる恐怖と闘いながら、今日を生きる僕の日記です。恐縮です。

決して高学歴エリートではない。プライドだけは高かった生意気クソ野郎だったのも認める。そんな僕が、20代で年収1,000万円で誘われたことがある。好待遇のオファーだ。だがそれを断った。2009年当時の話。今はもう時効だろうから、赤裸々に語る。自分語り。史実。

 

人材業界と一口に言っても、多岐に渡る。難易度順に紹介すると、媒体に広告を載せませんかと提案する媒体営業に始まり、次いで日雇いや人材派遣業、人材紹介業、再就職支援と続く。最高難易度にしてヒエラルキーのトップに君臨するのが、エグゼクティブサーチだ。

 

またの名をヘッドハンティング業。アメリカでは、エグゼクティブは優秀な医師と弁護士、ヘッドハンターを囲っていると言われていた、らしい。僕は26歳で日系の最大手ヘッドハンティング会社に転職。最初の上司は、新卒時代に隣の事業部で活躍する年上女性だった。

 

クライアントや同僚に恵まれ、実績を出していく。四半期に一度の表彰式に、名前を呼ばれることも珍しくなかった。世間は好景気で、事業は拡大、新人が次から次へ入ってくる。社員の仲を深める目的で、フットサル部を立ち上げた。数字が悪い社員なら、出来ないよ。

 

ところがリーマンショックが到来する。当初は対岸の火事だと鼻で笑っていた経営層も焦る。自社採用のストップ。電気代の節約。更には賃金のカットにまで手を出す。耐えかねて一人、また一人と仲間が辞めていく。そんな折、である。後輩の新規訪問に同行した先で。

 

社長「うちに来ないか。君に1,000万円稼げる環境を用意するよ」と言ってのける。その時は冗談半分に笑い飛ばした。だが後日、社長と外食に出向いた。そこで、実際にオファーレターを頂戴したのだ。これには悩んだ。在籍する会社はジリ貧。仲間も収入も半減している。

 

 

だが冷静に考える。新しい組織は、社員が数名の所帯。トップはアメリカ人。社内の公用語は英語だそうだ。エグゼクティブサーチ業界では珍しいことではない。だが僕は英語は苦手。僕の何を高評価。答えは恐らくクライアントリスト。外資系IT企業を数多く持っていた。

 

社内の大混乱の影響で抜けてしまった仲間の中には、同じチームで働く同僚も存在する。英語が得意で、前職は外資系ヘッドハンティング会社で経験を積んでいた彼から引き継がれたリストを、彼らは高く評価した。察した僕は、高額オファーを断った。もう一つの世界線。