わくわく海賊団 -13ページ目

わくわく海賊団

Compass of Your WakuWaku

 

 人間以外に、

 服を着る生きものというのを

 見たことがありません。

 

 派手な、あるいは目を引く

 姿形の生きものはたくさんいます。

 しかし、彼らのあの派手さとか、

 あるいはややこしさとは、

 彼らのヌード(裸)です。

 

 孔雀も、麒麟も、

 豹柄でおなじみの豹だって、

 生まれたままのヌード(裸)が派手なだけで、

 服を着ているわけじゃありません。

 

 でも、人間は服を着ています。

 

 派手も地味も豪華も質素も自由自在です。

 しかも、ヌード(裸)にもなれますし、

 着替えることだってできる。

 

 人間とチンパンジーの遺伝子は、

 98%が同じといわれているけれど、

 チンパンジーは服を着ません。

 

 クロマニヨン人は服を着ていたそうです。

 

 類人猿と人類の祖先では、

 まったくちがうんですよね。

 おもしろいなぁ。


 たとえばの話が、

 豹の毛皮は、あんな模様ですけれど、

 あの模様は別のものに選び直せません。

 そういう認識があるかは分からないけれど、

「わたしという豹」は、あれしかない。

 

 しかし、人間は、

「わたしという人」はこうです、と、

 服装や持ち物によって表現できます。

 

「馬子にも衣装」というけれど、

「わたし」は紳士にも見せられるし、

 貴族にも、平凡なお役人にも見せられます。

 

 豹は豹にしか見せられないし、

 孔雀は孔雀にしか見せられないのに。

 

 つまり、ほぼすべての人間は、

「わたし」を着ている服の分だけ

 拡大して生きているわけです。

 

 さらにいえば、日ごとに

 服を変えてイメージも変えられるし、

 同じ色だとかスタイルだとか、

 同じ傾向の服を着続けることで、

 こう見られたいというイメージを

 定着させることもできます。

 

 もっといえば、

 乗るクルマや、暮らしている住処、

 職業や、遊び、地位、発言やらによっても

「わたし」を表現することができる。

 

 そういうものぜんぶをひっくるめて、

「わたし」ということなんですよね。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 こんなことできる生きもの、人間だけだ。

 

 世の中には、いろんなイベントがあります。

 

 コンサート、映画、スポーツ、演劇。

 こういうイベントをつくりあげるのに、

「いくらぐらいかかっているんだろう…」と、

 考えたみたことあると思います。

 

 日本の商業映画一本の予算が、

 だいたい4億円と聞いたことがあります。

 つくるだけでこの数字なので、

 これに広告費などが同じくらいかかるそう。

 もっと低予算のものもあるだろうし、

 ハリウッドなどでは何百億円の

 制作費もあるといわれます。

 

 では、スポーツイベントはどうでしょう?

 

 サッカー日本代表の試合は、

 いったいいくらで開催されているんだろう。

 今週から東京ではじまる「世界陸上」は、

 どれくらいお金かかるんでしょうか。

 

 会場を借りて、

 海外から選手団を呼んで、

 宿泊してもらって、

 運営スタッフ、ボランティア…

 入場料だけじゃとても足りません。

 

 きっと放映権やスポンサーが

 大きな役割を果たしているんでしょう。

 

 いくつかのイベントに

 関わったことがあるけれど、

 とにかくたくさんのお金が動いているー

 そのことだけは実感しました。

 

 スポーツや音楽やアートって、

 ぼくたちに夢を見せてくれるものですよね。

 

 世の中のありとあらゆるイベントは、

 それくらいの力をかけて、

 夢を見せてくれているんだと思います。

 

 その夢を実現するために、

 どんなお金が必要で、

 どんな人たちが動いているのか。

 

 ぼくらはもっと知っていいと思う。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 夢の舞台の裏側を学ぶと、

 拍手の音がいつもとちがって聞こえます。

 

 謙虚は、美徳とされてきました。

 

「もっとじぶんを出せ」

「主張しろ」という考えもあるけれど、

 ぼくがかっこいいと思う人たちは、

 みんな謙虚な人たちでした。

 

 謙虚な人と一緒にいると、

 うれしい気持ちになります。

 

 謙虚な人がひとりいるだけで、

 まわりの空気がふわっとやわらかくなる。

 緊張がとけて、みんながのびのびできる。

 

「心理的安全性」ということばがあるけれど、

 まさにこういう状態を言うんだろうなぁ。

 

 体育の授業でバスケットボールをしたとき、

 バスケ部に所属している子たちは、

 じぶんが活躍するより

 まわりを活かすことを優先してくれました。

 

 パスをまわして、

 みんながたのしめるように。

 これはサッカー部も野球部もみんな同じで、

 そういう姿ってかっこよかったです。

 

 謙虚さっていうのは、

 ただじぶんを引っこめることじゃなくて、

 まわりを活かすための

 積極的選択なんだと思います。

 

 だから、仲間たちが力を出しやすくなるし、

 チーム全体がいい方向に動いていく。

 

 しかも、ふだん謙虚な人が、

 本気でなにかを言ったり動いたりすると、

 みんな「これは大事なことだ」と感じます。

 だから、力を貸そうと思えるんです。

 

 謙虚は、力なり。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 じぶんをおさえるだめじゃなく、

 まわりと一緒に輝くのための謙虚。

 やっぱりかっこいい。