「それ、知ってる?」と尋ねるとき、
それは単に知識を聞いているようでいて、
「そのことについて話せる関係?」と
確かめているようにも思えます。
つまり「知る」というのは、
情報を把握するという意味だけでなく、
対象と「関係を結ぶ」というニュアンスも
含まれているような気がするんですよね。
古典で「知る」というのは、
男女の関係になることを意味します。
「知る」という行為には、それくらい深く、
個人的意味があるということなのでしょう。
人間は「知る」ことで、変わっていきます。
うれしいことも、かなしいことも、
知らなければ通りすぎてしまった気持ちに
「知る」ことでふれるようになります。
もちろん「知ってしまったばかりに」
感じる苦しさもあるでしょう。
でも、それ以上に、
「知ったからこそ」つながれる相手や、
分けあえる想いがあるのだと思います。
知らないふりをしているほうが、
ときには気楽かもしれません。
でも「知ること」を避けているかぎり、
ほんとうの会話も、やさしさも、
生まれてこないように思うんです。
知るというのは、
なにかを学ぶこと以上に、
そのものと、そして、だれかと、
向きあおうとする決意なんだと思う。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
ほんとうのやさしさは、
たぶん「知る勇気」からはじまる。